2006年12月24日

日本映画が勢いがあるようにいわれるが、その実態は。

今日のニュースで気になったのは読売新聞の『邦画興行1000億円超も、21年ぶり洋画抜く』だったが、なんとなく書きたくなかった。

というより、今夜はブログも更新したくないような気分だった。

なんだかやけに景気がいいような記事だが、邦画と洋画を合わせた興行収入は昨年より減っているのだから。

邦画製作者としては決して悪いニュースではないと思うのだが、邦画製作本数が年間700本もあって、製作現場およびその周辺の貧しさを知っているだけに、その実態を思うと書けないというのが実際だ。

このニュースは映画の製作現場の話ではなく、シネコンを中心とした流通現場の話なのである。

別に流通がどうのこうの言いたいわけではなく、製作現場にもう少し目を転じ、製作現場の環境をもう少しよくするような”施策”を講じれば、格段に興行収入を増やせるのにと思っているだけである。

まだ誰もがやったことがない”施策”を講じたところから、格段に収益が上がるはずだ。

ただ、それがわかる人も、やろうとする人も見受けられない。

その上での、『邦画興行1000億円超も、21年ぶり洋画抜く』だ。

ブログで書けることではない。

実験をしながら、経験を積み重ねながら、結果を見るしかないことだ。

やっと、ここまで書くことができた。
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2006年12月13日

映画は著作権の集合体だ

映画は著作権の集合体である。

映画が劇場で上映される以外に、テレビやCS・BSで放送され、ビデオやDBDになり、ネットで配信されるようになって、著作権についてはますます複雑化している。

ITmedia Newsに、下記のような記事があった。
著作権保護期間は延長すべきか 賛否めぐり議論白熱 (1/3)
作者の死後、著作権は何年間保護するべきか――こんな議論が盛り上がっている。クリエイターの創作意欲を高め、文化を発展させるためには、現行の50年のままでいいのか、70年に延長すべきか。それぞれの立場で議論が行われた。


慶応大学教授の中村伊知哉さん、「青空文庫」呼びかけ人の富田倫生さん、劇作家の平田オリザさん、漫画家の松本零士さん、小説家の三田誠広さん、評論家の山形浩生さんなどが参加したらしいが、音楽関係者も著作権の集合体である映画関係者の姿もなかった。

小説、劇作、漫画などの著作物に関する会合だったのかもしれない。

今日、P2Pファイル交換ソフト「Winny」を開発し、著作権法違反(公衆送信権の侵害)ほう助の罪に問われていた金子勇被告の判決公判が京都地裁であり、氷室真裁判長は罰金150万円(求刑・懲役1年)の有罪判決を言い渡したというニュースがあったが、今、著作権に関係するものおよび関係するビジネスが最も面白いといえるのではないかと思う。

金子被告は、「Winnyによってこれまでの著作権が有効性を失い、新しい著作権の概念が必要になるかも」などといっていたらしいが、今インターネットがブロードバンド環境をほぼ整えて、映像がかつてないように氾濫するとき、著作権の集合物である映画を中心に考えるとよく整理できるはずだと思ったりした。

映画はまず原作権などを収得し、監督・脚本家・音楽家・スタッフ・俳優などとそれぞれ契約を交わし、映画を製作した後は自らが著作権者となり、放送・通信会社やDVD販売会社と契約したり、その収益を得ると同時に、それぞれの著作権者に正当な取り分として配分を行わなくてはならない。

「50年を70年」にという著作権の論議は、それぞれの言い分はあると思うが、Winny問題ががなくとも、新しい概念を構築することが必要な事態に立ち入っているのではないかと思った。

こんなことも思い出した。

漂白放浪の俳人・種田山頭火は大酒のみで、生前に家族に対して大きな迷惑(経済的にも)をかけたが、死後さまざまな出版があって少なからぬ印税を残された家族にもたらしたというが、そのような背景の中で著作物が作られていることがある。

一部の売れっ子を除いて、このケースは少なくないのではないかと思う。

「死後の著作権収入で、子供や孫の生活をまかなうというのではなく、生前の借金を返済する」というようなことは本当に少なくないと、いくつかの作品の著作権者である者として思うのである。
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2006年11月08日

日米野球、72年ぶりに日本選抜が大リーグ選抜に全敗したけれど

また日米野球のことを書いてしまった。

日本選抜が大リーグ選抜に72年ぶりに全敗したと報じていたが当たり前だ。

イチローも松井もいなくて、城島や井口が大リーグチームに加わり、多くの主選手が出場辞退をしているのに、大リーグも同じようなものだといっても、勝敗を云々するのはもとより、こんなイベントを開催すること自体がナンセンスだったのだ。

本当は日米野球のことなんか書くつもりではなかった。

だって、視聴者から見放されていることがわかっているのに、無理やり冠スポンサーなどをくっつけてやっている番組ということがわかっているのだから。

ただ、腹が立って腹が立って、書かざるを得ないような気持ちになったのだった。

プロ野球のビジョンを示すことができないプロ野球機構の想像力の欠如と、力のあるスター日本選手の大リーグへの流出という状況があいまって、野球ファンを冒涜するようなイベントが組まれたと思う。

テレビ局や代理店は、落ち目の日本プロ野球機構の実態を知りながら、どこかの底引き網漁のように稼ぐときに稼いでおけといわんばかりの姿勢で、プロ野球ファンのなけなしのお金だけでなく球団や選手に対する愛情までも収奪したのではないか。

だから、腹が立ってしょうがない。

このことは、コンテンツを作り出すことと流通させるという二つのチャンネルを持っている、テレビ局(属性としての代理店なども含めて)の傲慢とおごりをあらわしていて、テレビキー局の衰退を象徴するイベントになった可能性がある。

望んでいることだが・・・。

だから、3回も書いてしまったのか?

そうかもしれない。

「肉を切らして骨を切る」なんて思いながら。
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2006年11月07日

日米野球の視聴率と開催要項

カミさんがテレビのチャンネルを回しているとき、チラッと日米野球が放送されているのが見えた。

「まだやっている・・・」

あきれてしまって、どんな視聴率(僕の予想では一桁)になっているのかを調べようとして、「日米野球 視聴率」というキーワードでヤフーに検索をかけたら、

1、プロ野球の視聴率・日米野球も客席ガララーガ541

2、2006日米野球・巨人vsMLB史上最低視聴率間違いなし!

3、2006日米野球・巨人vsMLB史上最低視聴率間違いなし!



と、2チャンネルがらみの記事が並び、それぞれ「日米野球」を揶揄したり批判したりしいたが、しかるべき筋の正式な視聴率の発表を探すことはできなかった。

ただ、2チャンネルの記事にこんな記述があった。

日米野球は、日本テレビ系で2日夜に放送された巨人対米メジャー選抜戦が11.4%。全
日本対米メジャー選抜戦は、日テレ系で3日夜に放送された第1戦が10.4%、テレビ朝日
系で4、5日夜に放送された第2戦と第3戦はそれぞれ7.8%、7.1%と、低下の一途をたどった



いったい、誰たちがこんな「日米野球」を開催しているのだろうか?

で、「日米野球 開催要項」で検索してみた。

イオン日米野球2006

●主催        MLB、MLB選手会、日本野球機構、読売新聞社
●特別協賛(冠協賛) イオン
●特別協賛      伊藤ハム株式会社
●協賛        株式会社ニコン、日本グッドイヤー株式会社、マス           ターカード・インタナショナル


賞金の欄には、
優勝チームに賞金1億円を贈呈。4勝すれば1.2億円。5戦全勝の場合は、1.4億円。

と書いてあったが、この数字も大リーガーたちの年俸に比べたらしょぼいもので、何の売りにもならない。

今、カミさんのテレビタイムが終わり、再びアナウンサーと掛布らしき声がテレビから聞こえているが、30年ぐらい前の価値観を押し付けられているようで腹が立ってくる。
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2006年11月05日

ガラガラの日米野球を放映するテレビ

食事をしながら日米野球をテレビで少し見た。

娘がいないからか、カミさんが観たい番組がないからなのか、NHKのニュースが終わってからしばらく日米野球にチャンネルが回されていた。

ロッテの小林投手が大リーグ選抜を4回までパーフェクトに抑えていて、アナウンサーは必要以上に興奮して中継を盛り上げようとし、ゲストもそれに呼応しようとするがもうひとつ盛り上がらない。

観客席がガラガラからか?

5回になって、小林がツーベースを打たれ、続いてホームランを打たれ、ヒットを打たれ、タイムリーを打たれて、瞬く間のうちに逆転されてしまった。

そこで、ベンチに横たわった(病気で寝ているわけではないのだが)野村監督がアップになると、チャンネルが切り替わった。

カミさんが毎週観ているNHK大河ドラマ『功名が辻』が始まるからだ。

ガラガラの観客席で行われている日米野球を放映する、テレビとはいったい何なんだろうかと思った。

イチロー、二人の松井、城島、井口、田口などの日本の主力選手が抜け、来期は西武の松坂と阪神の井川という両エースが大リーグ入りするという、日本プロ野球存亡のときに・・・。

ましてや、日本を代表するはずの城島と井口は大リーグ選抜に加わっており、そんな弱体日本プロ野球と大リーグの試合を日本の観客が観たいと思っていると、テレビ局は本当に考えているのだろうか。

それとも、古いプロ野球機構との馴れ合いの関係で、閑古鳥が鳴く日米野球を放映しているのだろうか。

スポンサー収入があるから、テレビ局にはそれなりのメリットがあるとはいえるが。

今この記事を書いているとき、再びチャンネルが変わって日米野球が映し出された。

「4対6」になっていた。

日本チームが追いかける展開になっていて、画面から声援は聞こえてくるものの、スカスカのスタンドで応援する観客が気の毒でならない。

そして今、予定されていた放送時間が終了し、中継は打ち切られた。

最も人気のあるイチローと松井はこの場にいない。

テレビは、視聴者に何を見せたいのだろうか。

まさか大リーグの手先となって、新たなる日本選手を集めて大リーグ入りのプレゼンテーションを行っているわけではないだろうし・・・。

確か、春にも同じような日米野球のイベントがあったと記憶しているが。
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2006年10月23日

ばってん荒川さんと藤岡琢也さんが亡くなった

ばってん荒川さんと藤岡琢也さんが相次いで亡くなった。

どちらも仕事をしたことはない。

ただ、ばってん荒川さんには仕事を断られ、藤岡琢也さんとはマネージャー時代に京都撮影所で話をしたことがある。

どちらもいわゆるバイプレーヤーだったと思う。

藤岡さんは晩年にいたっても「渡る世間に・・・」などキー局のレギュラー番組があって堂々たる俳優生活を送られたが、30年程前には不安定な時期もあって、京都・太秦のうどん屋で言葉を交わしたことがある。

そのころ僕は27・8歳で、売れっ子の水谷豊や浜木綿子さんなどを抱えた事務所のバリバリのマネージャーで、自分の事務所以外の俳優さんともよく話をすることがあった。


ばってん荒川さんとは、芸能界に入る前から田舎のテレビで見たりしていて僕としては大変親しみを持っていたが、結局亡くなられるまで面識がないままに終わった。

映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』を九州で製作するとき、当然出演してもらうように働きかけるべきだし、出演してもらえるものと思っていたが、台本があがって出演交渉をすると割合簡単に断られてしまった。

多分、僕のことが信用できなかったのだと思う。

地方でやっていくことの大変さを、僕の百倍くらいご存知だったのではないかと思う。

ばってん荒川さんは、何を九州で実現しようとされたのだろうかと常々思っていたが、今でもよくわからない。

今となっては、ニューヨークのカーネギーホールでビートルズを演奏したフライイングエレファンツが、一時期の話題に乗って東京での音楽活動をしなかったように、東京の芸能界とは一線を画して独自の境地を目指していたのではないかと想像するほかない。

ばってん荒川さんから見ると、九州という田舎に東京と同じシステムを持ち込んでビジネス展開をしようとする僕なんかは、極めておろかな存在にしか見えなかったのではあるまいか。

そして、それは的を得ていたのである。

こういう言い方ができる。

あの時、ばってん荒川さんは出演を断ったが、藤岡琢也さんだったら受けてくれたのではないかと・・・。

どちらがどうということではないが、なかなか人間の思うようにいかないのが人生のあやであり、ばってん荒川さんも藤岡琢也さんも少し早い死だったように思う。

お二人のご冥福をお祈りする。


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2006年09月09日

映画プロデューサーならやってみろ!

映画ではなく、「映画を作る環境のすべてがよくないなあ」と思っている。

一口に映画といっても、ピンからキリまでさまざまである。

映画より半世紀も遅れて出現したテレビのプロデューサーが、「私はテレビ局の社員だから、テレビを作るように映画を作っている」と堂々と発言し、日本映画のメインとしてヒット作を連発している。

あるIT関連会社の映像担当は、映画も含めた映像コンテンツは「動いていればよい」といい放ち、実際その考え方で映像作品を作らせて(下請けに)メインコンテンツとし、DVDで販売して利益すら計上していた。

大雑把に言って、両者の映画の製作費は数億と数百万ほどの開きがあるといってもよいが、市場では同じ映画として取り扱われている。

そのこと事態は悪くも良くもないが、どちらも日本のマーケット向けに作っていることに問題がある。

いまやアメリカ映画は1分1億円の製作費をかけて映画を作り、全世界マーケットに提供している。

その意味では、アメリカ映画からするとテレビ局の映画もIT関連会社の映画も「キリ」である。

でも、いいたいことは製作予算のことではなく、本気で世界マーケットを視野に入れた映画作りが、依然として行われていないということが問題なのだといいたいのである。

といっても、日本の狭い市場原理に照らし合わせれば青臭い意見でしかなく、もっとひどい条件で「映画作り」が行われていくことは自明のことで、文句があるなら自らがそうでないようにしていけばいいことである。

と思い、キリのキリの現場を体験することからスタートしようかと考えている。

テレビキー局やほかの出資会社に気を使っていても、ひとつも仕事にならないという事情もある。

だから、キリのキリの現場から出発して、新しい価値を創出しなくてはならないのではないかと思っている。

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2006年09月06日

USENのGyaOが、20世紀フォックスの宣伝媒体に特化しなければいいが

20世紀フォックスと提携したGyaOから、早速下記のようなメールが来ていた。

多少はしゃいだ感じの内容だが、さもありなんという気もしなくはない。

「20世紀フォックス」ってスゴイ会社の作品が続々な今週のGyaO

┌ <編集者・コナロの言い分:前編> ───────────┐
映画ファンじゃなくても、聞いたことくらいはありますよね?
「20世紀フォックス」って。ハリウッドの、世界的メジャースタ
ジオなんです。映画なら『スターウォーズ』シリーズとか、ドラ
マなら「24 -TWENTY FOUR-」とかGyaOでも大人気だった「プリズ
ン・ブレイク」も20世紀フォックス作品。そんなスゴイ作品をた
くさん持っている会社とGyaOが強力タッグ! なんと、もうすぐ
ドラマchで、本国の秋の新ドラマ「desire」を…(後半へ)
└────────────────────────────┘


「そんなスゴイ作品をたくさん持っている会社」というのがコンテンツ不足のGyaOらしい。

GyaOが20世紀フォックスの新作の宣伝協力をすることで、今回の提携にいたったということらしいが、放送と通信の融合より映画と通信の融合のほうがより強力だと思う。

同時に、不満もある。

契約の内容がわからないからなんともいえないが、20世紀フォックス以外の他のメジャーとも提携していくと聞いて、メジャー映画の宣伝媒体になっていくのではないかと。

それでも、GyaOにはメリットがあるから。
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2006年09月03日

楽天三木谷社長の『罪と罰』は、検事やら裁判官が裁くものではない

楽天の三木谷社長の顔は暗い。

暗すぎる。

三木谷社長のどんな写真や動画でもいいから、少し注意してよく見ると僕と同じように感じ取れるはずだ。

今のところ僕の直感でしかないが、仕事柄オーディションで何千人人以上の人に直接会い、数十万人に及ぶ履歴書や写真を見てきた者としての直感だが、あの暗い顔の表情の裏には何かがあると感じてしまう。

そういう意味で、三木谷氏は俳優としての素質は相当高いと思う。

どんなオーディションでも、最終審査に残る素質が十分にある。

以前、三浦和義さんがテレビや週刊誌の餌食になったことがあるが、三木谷さんの魅力はそれ以上である。

まるで、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリ・ニコフを思い起こさせるような、クールな魅力である。

ということは同時に、ラスコーリ・ニコフが生きている価値もないと判断して、殺害してしまった卑しい金貸しの老婆は誰かということになる。

三木谷氏にとって楽天のアフィリエーターたちは、すべてラスコーリ・ニコフが殺害した無知で野卑で欲得づくで生きる老婆であり、完全犯罪をなしとげたラスコーリ・ニコフもしばらくの間よそよそしい顔をして世間を欺いていたが、三木谷氏のあの暗い顔の表情はそのときのラスコーリ・ニコフの顔であると、以前から僕は考えている。

ラスコーリ・ニコフの犯罪を追うポルフィーリ(という名前だったと記憶)という刑事だか検察官がとびっきりに魅力的で、日本中を見渡してもその役がやれる俳優さんはいない。

俳優さん以外で言えば、『Web進化論』の梅田望夫さんのような人かもしれない。

楽天のことは、何かを自由にやろうと思って楽天のサービス(囲い込み)を受けてみないとわからない。

それも、ヘビーユーザーとして・・・。

目隠しをされて、奴隷のように使役されるアフィリエイターにほんの一時でも身をおけばすぐに理解できることだが、いわゆるリーダーたるエスタブリッシュメントには永遠にわからない。

改めて、楽天やそれに類する輩に腹が立っている。

法律などで裁くより前に、基本的人権という憲法の問題として考えなければいけないことだと思う。

大袈裟な!

やっとネット上にも法律が必要なことが理解されてきたが、憲法問題はまだ論議されていない。

彼らは人を人と思っていない。

せめて、人であると思わせる憲法がいるのではないですか。
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2006年08月29日

映画評論家・大高宏雄氏と角川映画元社長・角川春樹氏は?

映画評論家・大高宏雄氏と角川書店・角川映画の元社長である角川春樹氏に関する記事をこの1日2日で書いたが、僕の予想に反して角川氏より大高氏の記事に対する反応の方が圧倒的に高かった。

さしたる情報の詳細も調べずにいうと、大高氏のほうが旬といえる。

元社長などより、あるいはプロデューサーというより、映画評論家というキーワードのほうが強いのかもしれない。

それはそれでいのだが、日本の大映画プロデューサーともいえる角川春樹氏の仕事の本質を、マスコミも、インターネットも伝えきっていないのではないかと思った。


ここまで書いて、疲れてしまったので続きは明日書きます。

インターネットは時々予想もしない結果を出す。

いや、その結果のほうが正しいのかもしれない。

小説家よりも、IT最先端にいる書き手たちのほうが、人々を救っているのではないかと思う。

ましてや、新聞記者やテレビなどで碌を食むジャーナリストあたりが・・・である。
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2006年08月28日

角川春樹氏のインタビュー記事から細木数子さんを思い浮かべた

元角川書店社長・角川春樹氏が刑務所から出所して、昨年、映画『男たちの大和/YAMATO』を製作して大ヒットさせ、プロデューサーとして鮮やかに映画界復帰をはたした。

角川氏とは直接面識はないが、間接的には多少かかわりがあったこともあり、角川氏に関するいくつかのエピソードも聞き及び、相当神がかった人であることは承知していた。

だが、神がかったエピソードは角川氏にごく近い人たちの間で密かに囁かれることであり、大ぴらに表に出ることはなく、カリスマを彩る噂話の域を出るものではなかったと思う。

その角川氏の神がかったところが大ぴらになっていると思われる、日経ビジネスエキスプレスのインタビュー記事があったので一部(本当は全文を紹介したい)を紹介しておきます。

それでも、多少長文ですが、実に面白いと思う。


――刑務所に入った経験は、ご自身にとっては良かったんですか。

角川 良かった。私にとって、個人的にはね。12年間の法廷闘争ですべてを失ってしまう、お金もね。そして、戻ってきて、さてこれからが勝負だと。それで、大和のクランクアップ会見で「21世紀は角川春樹の時代だと思う」と言ったんです。

 あの発言を聞いた人は、単に大和のことだと思っているんだろうね。私の本当の戦略をまだ分かってない。

――1つの映画のことだけを指しているわけではない。

角川 だって大和だけが成功したって、私の時代にはなりませんよ。

 私は病気を治したり、いろんなことができるんだよね。それを使って、宗教を必要としない時代に持っていこうとしている。人間は幸せになったり、仕事がうまくいったり、病気が治れば宗教は必要ないではないかと。私自身は刑務所でもっと先のレベルに行ったんだよ。

――どういうことですか。

角川 生き方として生涯不良と言い出したんですよ。人間は何のために生まれてきたかという根本的なことが宗教も哲学も分かっていない。人間は楽しむために生まれてきた。これしかない。それを私は刑務所の中で分かったからね。

――病気を治すこと以外に、どんなことができるのですか。

角川 この間までは、日本の地震を止めることに命を懸けていた。それで止めたんだよ。

▼地震、台風、日本文化のためなら命も捨てる

――いつ?

角川 昨年の7月7日です。止めるだけの能力を持っているからね。だからサイバー戦争になった時に、最も大きな力を発揮するのは私だろうね。荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、一つひとつ実績がある。この前の台風も東京を直撃するというので、迂回させたんだ。それで静岡を通って千葉に抜けた。

――地震を止めるというのは、どういう作業になるんですか。

角川 私の独特のやり方なんだ。45分ぐらいかかったかな。この時は、やれば自分が死ぬということを覚悟のうえでやった。

――相当のエネルギーを使うという意味ですか。

角川 そうじゃなくて、自分の命が取られるだろうと思った。人の能力で自然現象を止めちゃうんだよ。前もってこれから起きることを変えるわけだから、歴史の改造と同じなんだよ。俺は、日本文化のためだったら命を捨てても構わないんだ。



僕はこれを読んで、角川春樹氏は細木数子さんより数段面白いと思ったが、お二人に共通性があるとも思った。

お茶の間でテレビに興じる普通の人たちが味わったことのない経験の持ち主で、それが決して笑わない目に表れており、時折見せるチャーミングな笑顔がお二人に共通していると。

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2006年08月26日

日本映画界には5社(東宝・松竹・東映・大映・日活)協定という縛りがあった

テレビ局を中心とした芸能界に、テレビ局の”行政指導”にはじまり今ではテレビ局をも行政指導する”行政という力”があると前に書いたが、古くは日本映画界には5社協定というものがあった。

5社協定とは、東宝・松竹・東映・大映・日活の大手映画製作会社が裏で結んでいた協定のことである。

5社は製作のほかに配給も興行も手がけていて、全国津々浦々に張り巡らした映画館に自社で製作した映画を供給(ブロックブッキングというシステム)し続け、テレビが登場してもしばらくは日本の芸能界の中心存在だった。

5社はそれぞれスター俳優(東宝:三船敏郎・加山雄三・星由里子 松竹:渥美清 東映:高倉健・萬屋錦之介 大映:勝新太郎・市川雷三 日活:石原裕次郎・小林明)を抱えており、5社協定は主にそのスター俳優たちを縛る協定だったといわれ
ている。

もちろん監督やほかのスタッフたちもその協定下にあったといえる。


東映の岡田茂相談役が、日経エクスプレスのインタビューの中で下記のような発言をしている。


我が社のトップスターの(中村)錦之助もそうだった。ある時、彼が僕に独立したいと言ってきた。僕は「独立は認めるけれど、うちのオーナーの大川(博)さんとは喧嘩してくれるなよ」と言いましたよ。

 それから何日かたって、大川さんに呼ばれた。大川さんは「独立なんかとんでもない。5社協定というのがあるから、秘密裏に彼らをいじめようじゃないか」と言うんだ。5社協定の内容はよく知られていなかった。みんな隠していたからね。各社の社長しか知らなかった。ただ、命令は下るようにしてあるのよ。どこか1社がある役者を使わないと決めたら、全社が足並みを合わせる。無言のうちにそうなるように決めてあったからね。


岡田茂氏は、「5社協定は、各社の社長しか知らなかった」と言っているが、当時は、衆知のことで子供ですら知っていることだった。

権力が大きくなれば個人を虫けらのように扱ってしまうこともあるが、問題は権力を持ったものたちが裏で取引をして、個人の自由を損なうアンフェアな体質である。

また、このアンフェアな体質はわが国のさまざまなところに見受けられることだが、芸能界という一種限られた世界では、増幅されているといったら言いすぎだろうか。

巨大メディアとなったテレビ局の”行政指導”が、増幅されてより肥大化して行って”行政”になり、見えざる力で視聴者の利益を損なっているのではないかと思う。
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テレビ局を中心とした芸能界の「行政の力」とは?

テレビ局を中心とした芸能界には「行政」というものが存在するという。

よく、芸能マネージャーたちが「行政の力が働いた」というような言い方をする。

漢字で書かれた資料というものがないから、「ぎょうせい」とひらがなで表記していた方が適当かもしれない。

芸能界の「見えざる力」である。

ネットで検索してもこれといった記事は皆無に近く、テレビ局を中心とした芸能界のいわゆる「隠語」だと思われる。

僕が知っている限りでは、30年前にも20年前にもなかった言葉で、自分なりに推測できるが、いつから「行政」という言葉が使われるようになったかはよく分からない。

そこで、日経ビジネスエキスプレスの最近のインタビュー「マネージャーがブログの代筆をしたって、すぐバレれる」で、ホリプロの堀威夫氏が”行政指導”という言葉を使われているので紹介する。

――桜田淳子は他のプロダクションに持っていかれましたね。

堀 もともと「ホリプロ3人娘」を作ろうと思っていたんですよ。森昌子を当てたので、この商品を基に数を増やしたいと思ってね。デビュー前の石川さゆりを抱えていたから、あと1人の候補として桜田淳子に手を挙げたんだけど…

――結果的には失敗した。

堀 テレビ局が、あまりホリプロばかりに偏ってはいけないと“行政指導”したらしいんだな。それで、何が何でももう1人ということで百恵を採り、「ホリプロ3人娘」を発表しました。ただ、この「ホリプロ3人娘」は「中3トリオ」の人気に押されて自然消滅しちゃった。


ここで使用されている゛行政指導゛という言葉と関係があるかもしれない。

ただ、僕が聞き知っている「行政の力」とは、テレビ局をも゛行政指導゛してしまうような存在で、テレビ芸能界が牧歌的だった時代の力関係では説明のつかないものだ。

かつて、M・Kという新人女優を映画デビューさせたとき、僕は彼女のマネージャーであり事務所の社長と次のような会話を交わしたことがある。


F「タレントが売れる理由は何だと思いますか?」
生意気に試しているなと思ったが、一応さしさわりのないように答えた。
僕「それは、まず才能でしょう。もちろん、事務所のマネージメントの力もあるけど」
F「出れなくしたら、どうなります?」
僕「・・・え?」
F「その新人を出れなくしたらですよ」

当時から、芸能界にはそんな力が働いていた。

でも、「行政」とは呼ばなかった。

インターネットが発達して相対的にテレビの存在価値は低くなっていくと思われるが、我々の日常生活の中で巨大メディアであるテレビが占める役割は依然として大きく、30年以上も前の゛テレビ局の行政指導゛が時とともに成長していまやテレビ局を゛行政指導゛する「行政」へと変化を遂げ、その「行政」が結果的に視聴者の利益を損なっているとするならば大きな問題だといわざるをえない。

もっと、「行政」のことを調べないといけないと思っている。

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2006年01月18日

ライブドア事件から見えたこと

僕はライブドアブログで、『人生は、失敗するからうまくいく』というサイトを開設しています。

僕はトラックバックがうまく出来なくて、練習のつもりでライブドアの堀江社長日記にトラックバックをしたら、社長日記はクリックひとつでトラックバックが出来る構造になっていてうまくいったのですが、「見えたこと」というのはアクセス数のことです。

『人生は、失敗するからうまくいく』の普段のアクセス数は50ぐらいなのですが、昨日も今日も300を超えていて、グーグルアソシエートの売り上げも倍増しているということです。

数分の作業で、まったく縁がなかった数百人の新規客を呼び込んでいるのです。

この新規の客を、リピーターとして取り込めるようなサイトを構築できれば、めちゃめちゃ面白いことになると思うのですが、一過性の話題だからなかなか難しいところです。

でも、ブログのトラックバックというものが、ホームページとはまったく異なる威力を発揮することがわかり、ライブドア事件を取り上げたことでとても勉強になっています。
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2006年01月05日

麻雀ゲーム

かつて20数年ほど前に、麻雀ゲームを人から借りて一晩中やったことがあるが、その時からテレビゲームは二度とやらないと思った。

コミュニケーションもいくらかの儲けも、優越心すら持てないのが麻雀ゲームだった。まったくの時間の浪費であり、くたびれ儲けだった。
 それを知ってて、20年振りに麻雀ゲームをやったかというと、何か別の新しい発見があるかもしれないと思ったからだ。

 で、何か発見があったか? あった。何かを忘れさせるような作用がある。物を考えさせないようにするシステムが組みこまれている。

 マスターベーションにうつつをぬかす猿のような人間にしてしまう。
posted by 映画プロデューサー at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月31日

少女趣味では

 映画に関心がある人から、「映画は夢ですものね」とよくいわれることがある。よくといっても、2・3年に一度くらい、忘れた頃に言われるのでいつもどきりとしてしまう。

 我がサイトを訪ねてくれた人も一人、掲示板にそう書きこまれていた。そして、「映画を作る者にとって、映画は日常なんですよ」と書いた。書いてしまったといってもよいかもしれない。「そうですよねえ、映画は夢ですよね」と頷いていればいいのかもしれない。しかし、僕にとってそれは、できないことなんです。つい、夢なんかではなく、現実なんですよといってしまうのです。

 おそらく、実際に映画を作っている僕に対して、ねぎらいと多少の尊敬を言い表してくれた言葉だと僕は思っているのですが、余裕のない僕はその優しい気持ちに対する供えがなく、向きになってしまっているのだと思います。

 まず、東京でそう言われたことは皆無です。
 映画を作ることは、とりわけ俗っぽいことなんです。夢なんかではなく、熾烈な戦いが行われている戦場なんです。その戦場で戦っている者に対して、大の大人が「映画は夢ですものね」というのはいかにも少女趣味の言葉に思えてならないのですが。
posted by 映画プロデューサー at 13:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月27日

6年間に書いた記事

 今のテレビ番組の多くは観るに絶えられない理由がある。
 いずれ、酒を飲まなくて書くこともあると思うが、テレビ番組の作り方には腹が立つよりあきれてしまって、好きなようにすればという気分だ。

 僕は今年51歳になるが、今のテレビ局の幹部といわれる人たちは僕と同年齢である。僕は俳優のマネージャーという仕事を経て映画プロデューサーになったから、テレビ局に知り合いは多い。NHKまで入れてほぼ全局に知り合いがいる。親友と僕が思っている人もいるが、大方が組織に絡めとられていった。

 視聴率万能主義とは儲け主義だ。視聴率を上げるという言葉で儲け主義をごまかし、ひたすら自分たちと視聴者をだましながら、今の繁栄を築いてきた。そして、影響力の大きさにあぐらを掻いて、スポーツや芸能以外にも、政治や経済にまで節操なく口出しをする。

 分かりやすくを合言葉に、ネタがなくなれば科学や歴史や心霊学(?)まで持ち出して、図解入り、専門家つき、お笑い、馬鹿・アホ・美形・セクシー・ちょっと知的に見えるタレントなどを配して、素人芸を公共の電波を使ってビジネスにしている。

 タモリやたけしやサンマが出始めた頃はまだよかった。公共の電波であるという縛りが、奇妙に視聴率は関係なくいい番組を作るというだけの堅苦しさを生み出していた。

 これが、彼らの出現によって「母と子のフジテレビ」から、「面白くなくてはテレビじゃない」に代わり、各局がこれに追随して今日に至っている。

 僕の知り合いの(あえて友人とは言わないし、親友とも言えない。おそらくテレビ局には親友などという言葉はバーチャルな言語になっているはずだ)幹部たちは、一応出世コースを目指しているという振りをしながら、局内でやりそこなわないように気を付けながら生きている。
 
posted by 映画プロデューサー at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画祭が嫌い

 映画祭に関わっている人たちに尊敬できる人がいないのです。

 地方で開催される大きなイベントやテーマパークの建設などと同じように、ほとんどの映画祭が東京のプロたちの手を借りて開催されている。プロたちは、仕事と割り切っているからまだよい。映画祭の周辺にいる、プロなのかボランティアなのか判然としない人たちが嫌いで、日本の映画祭を信用できないのだ。

 どこの映画祭にも、映画祭の実績(単なる慣れか?)を積むにつれて、いっぱしの映画評論家のような見方をするようになった鼻持ちならない連中がいる。おおむね多少シニカルな顔つきの連中は、まるで裁判官のような態度で映画作品の選考に加わっている。

 商業主義で映画祭に関わる東京のプロたちにいいように利用され(利用してると思っている人もいる)ながら、結果的に映画祭の周りにゴロゴロたむろした与太者を演じることになっているのに、まったくその事に気づいていないのか、気づこうとしないのかはわからないが、その姿はあきれるというより滑稽ですらある。

 僕が言ってることがどうだというより、ちょっと周囲をよく見たらすぐわかることです。
 各映画際の関係者は、ほとんど同じパターンの人物たちでキャスティングされている。見事に、何処の映画祭にいっても同じキャラクターの人たちがいて、同じマニュアルで運営されている。

 永田町より狭い芸能界。芸能界の極地ともいえる映画界。ましてや誰も知らない地方の映画祭で、映画評論家気取りの人たちがエイリアンのようだといったらおかしいだろうか。

 これで、また嫌われてしまう。
 
posted by 映画プロデューサー at 14:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 聞かれちゃいけない独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

地方は取り残される

 誰も何もしなくて様子を見ているだけなら何も変わりはしない。

 地方にいていつも感じることがある。面白い企画(面白くないではない)があるとする、東京ではその企画をめぐって取り合いになることすらあった。そんなあさましい限りのことが、ほぼ日常的に行われているといってもよい。しかし、地方では面白いが面白いままになって何も起こらない。

 僕は映画だけのことをいっているわけではない。すべてにおいてそうだといってもよいほどだ。すべてが中央で企画立案され(ここのところは地方にはほとんど伝わらない)、知らないところで製作され、宣伝・販売戦略のもとに戦術すら決められ、与えられたものでエリアと向き合っている。

 大手企業の福岡支社に勤めている友人が、僕が何ヶ月もかかってワープロで作った企画書を見て言ったことがある。
 「面白いと思うけど、パンフレットがあったらいいのになあ」

 そのときは、製品(作品)もないのにパンフレットなんかあるわけがないだろうと腹が立ったが、地方ではいつも完成してパッケージされた製品があって、パンフレットやチラシもそろい、誰が売っても売れるような販売のノウハウが伝授されてはじめてビジネスが始まってきたことを知らない僕が悪かったのだった。
posted by 映画プロデューサー at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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