2006年12月21日

『ウェブ人間論』から竹林の隠者富士正晴氏の『雑談屋』へ

昨日書いた記事「『ウェブ人間論』から竹林の隠者富士正晴へ」で、富士正晴氏の『雑談屋』という記事のことが気になり、図書館に行って富士正晴氏のことを調べてみた。

あった。

富士正晴作品集(岩波書店)の巻4に『雑談屋』が所収されていた。

初掲載は『往生記』(1972年8月)とあるが、僕は文芸誌で読んだからこれより少し前のことだと思う。

僕が20歳になったばかりのころで、毎日朝から晩までというか、昼と夜がひっくり返っていて、夜通し本ばかり読んでいたが、とても面白いと思った記憶がある。

少し読んだら思い出した。

竹林の隠者は、思いつめたようなところがなくて小説が書けず、雑文を書いて飯を食い、雑談ばかりしている。

五月からランニングシャツとパンツ、時にはパンツだけでくらしている。来客があるとズボンをはく


そんな毎日で、三畳の部屋に安酒などを携えてひっきりなしに来客があるらしいが、肴は隠者が用意しているようだ。

何事もアホクサいが、雑談だけはアホクサくない。スメルジャーコフとかいうドストエフスキーの小説中の人物が「賢い人としゃべるのは面白い」となにやらおどしをこめてしゃべるところを記憶しているが、そのような汚らしい色合いなしに、私は賢い人としゃべるのは面白い。もっとも賢い人というのは大学卒業の偉い人とばかり極まっていないので、日本舞踏家とか、寄席の下座とか、お茶子とか、そのような小学校だけというような人たちにもずいぶん賢い人がいる。百姓のおかみさんにもいる。大体賢げな七ムツカシイことをいう人よりも、このような生活派のほうが面白い話をするから、この方がよいのかも知れない


来客の多くは、隠者の話を聞きにくる。
隠者は、相手の意向に沿って適切な話をし、相手の研究を大きく伸ばしてやろうとそれなりに努力をするが、一向に雑談料を払うところまでには至らない。

「しかし、あんたのところにはよく若い人が来ますなあ」と小粂がいった。

「そない言うたて、君みたいな人かて来てるやないか」

「僕もちょいちょい来ますけど、しかし、みんな何しにこんな不便な遠いところまで、御苦労にくるんでしょうな」

「知らんなあ。雑談に来るだけやろ。雑談の相手して金がもらえるねやったら、大分助かるんやがね。弁護士みたいに金がもらえるとええんやが、雑談屋というような商売はなさそうやなあ」

「面白い話をしても、落語家ならギャラになりますけどな」

「何でやろかしらん。おれと喋ってると面白いいう人はおるけれど、面白いからというて聞きちんは払わんな」

「僕も面白いと思う方ですけど、酒ぐらいは持ちこむけど、聞き賃は払おうと思わんですなあ」

「こら君でさえそうならあかんわ。君は俺の応援団長や。団長がそれならみんな払いよらんわ」

「何でしょうなあ。払う気になってもええ筈なんやけど。・・・しかし、ならんですなあ、そんな気に」

「落語には筋があるし、稽古もしている。つまり努力があるなあ。みんな認める。しかし、雑談にはそれがないなあ。それで、金払う気にならんのかなあ。ああ、面白かったで、しまいや。先に木戸銭とらんとあかんのや。面会料とかいうて」

「そんなもんとったら、僕でも来んようになりまっせ」


なんだか、今のインターネットにおける状況に似ていなくもない。

『ウェブ人間論』(梅田望夫氏と平野啓一郎氏の雑談「対談ともいう」)から、富士正晴氏の『雑談屋』に飛んでしまった。

真意が伝わったかどうか自信がない。

また書こう。
posted by 映画プロデューサー at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | Web進化論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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