2006年11月03日

映画製作者にとってフィルムは御用金に似ている

僕がひそかに(ブログに書いていて何がひそかにだ)進めている『赤とんぼ作戦』から、映画のフィルムが映画製作者にとってどういうものかを、今日の動きを報告することによって感じ取ってもらいたい。


福岡の妹の倉庫から東京のP社にフィルムを”移送”した。

要注意人物の囚人や多くの人に被害を与えかねない爆発物でもないのに、たかが映画のフィルムを送るのに”移送”というと大げさに聞こえるが、”護送”とまではいってないということで許してほしい。

フィルムは、僕にとっては幕藩の御用金のようなものである。

フィルムは御用金のように徳川幕府への献上金ではないが、もし何かの事情(奪われたり)で紛失したとしたら、なくなったではすまないという性質ではよく似ているのだ。

地方の幕藩は、新たに同額の御用金を用立てして幕府に献上しなくてはならないように、僕は新たにお金を用意してフィルムをプリントしなくてはならない。

撮影済みの生フィルムだったっら、御用金どころではない。

スタッフや俳優を再度集めて、ロケーションの場所なり美術セットを新たに用意したり、作り直したり莫大な費用がかかることになる。

考えただけでも気が遠くなるようなことだ。

P社のHさんには「今日送りましたから」と軽くいったが、僕としてはまさに大事なブツを「移送」したのだった。

もし、黒猫ヤマトか佐川急便かはわからないが、途中で紛失したらどうなるのだろうか?

紛失したフィルムが、誰かによってDVDにされて販売されたり、テレビで放送されたり、どこかの外国に売り飛ばされてネットで流されたりしたら・・・・・。

やっぱり、フィルムは最低”移送”という言葉で扱われるべきだと思う。

ブロードバンド環境が整ってきた今では、クリックひとつで世界中のどこにでも転送できる。

転送が終わるまで、核弾頭の発射のように、誰かがじっと張り付いている必要もないのだから。


本当は映画製作者にとって、映画は核弾頭そのものであるのですが・・・。
posted by 映画プロデューサー at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 働く現場から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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