自分が変化した軌跡でもある。
インターネット出現前(第1次東京時代から九州時代)
業界現場での情報→メディア→書店→飲み屋→友人→仕事仲間→紹介→企画
インターネット出現後(九州時代から第2次東京時代)
ホームページ開設→ネットサーフィン→ニュースサイトやブログをお気に入りに入れて更新情報を日々チェック→気になる情報の検索→ブログサイトの開設→SNSサイトへの書き込みやメールで未知の人に接触→リアル社会での対面→企画
第1次東京時代が20代から40代前半まで、九州時代が40代前半から50代後半まで、今の第2次東京時代が50代後半からで現在3年目が過ぎている。
上の区分けをしたのは、順番を整理整頓したいわけではなく、企画が成立した時のケースを思い出して、これからの戦略・戦術の効率化を図ろうと考えているからだ。
現在は、もはやリアルとバーチャルの垣根がなくなり、政権交代があって、ある意味で世界中が見えるのだが、誰も未来のビジョンを提示できないでいる。
というか、みんな今を生き延びるのに必死で、安心した老後など期待できず、もがいているといってもいいかもしれない。
当然のように、60歳を過ぎたフリーの映画プロデューサーの現実的な問題でもある。
そしてこの問題が、もう棺桶に片足を突っ込んだような僕などにあてはまる問題ではなくて、映像コンテンツ制作にかかわる若いスタッフたちすべてにかかわる重大問題であるということである。
ずっと昔のことだけど、東京都心および近郊の土方仕事のバイトをしたことがあったが、今の映像コンテンツ(あえて映画とはいわない)の制作現場は、当時の肉体労働の現場よりもっと劣悪な環境下にある。
薄給に加えて、気楽ささえない。
もちろん、クリエイティビティなんてあるわけがない。
もしかしたら、鬱屈した不満すらないのではないかと思うことがある。
まるで、狂気の世界だ。
インターネット出現後10年以上もたっているのに、下記のことを一切取り入れていない。
ホームページ開設→ネットサーフィン→ニュースサイトやブログをお気に入りに入れて更新情報を日々チェック→気になる情報の検索→SNSサイトへの書き込みやメールで未知の人に接触→リアル社会での対面→企画
エンドユーザーとして利用はしているだろうが。
社会に取り返しがつかない断絶(世代間だけではなく)があるように思える。
年長者に僕の九州時代のような経験がない。
また、若い者がそのままくそのような現場にい続けようとしている。
ハードワーキングプア・・・。
もう、取り返しがつかないところにきている。
そんな今、自分は何をすべきなのだろう、と日々考えている。
また、そんな自分がどう変化していくのか、大いなる楽しみでもあるのだが。