2009年08月10日

マニフェスト論争によって発言者のポジションが明確になってきた

酒井法子と押尾学事件も一段落し、高校野球も雨で2日も中断し、早々とお盆休みがスタートして、今日あたりは再び総選挙の話題がテレビで取り上げられるようになった。

新聞もだがテレビの情報バラエティ番組はおおむね各党(自民党と民主党だが)のマニフェスト論争で、民主党のマニフェストに財源の裏づけがないとか、FTA問題でブレているとか、政権交代の暁には民主党と連立を組む可能性のある社民党や国民新党のマニフェストをあげつらって、自民党よりの論調が目立っているような気がする。

あくまでも印象だが、普通の勤め人と違って暇だから、図書館でほとんどの新聞、週刊誌などの雑誌、ネット、テレビなどをくまなく見ての印象である。

で、記者やパーソナリティや識者が微妙に、あいまいに、時にはあからさまに、自分のポジションを確保しながら発言していると思わざるを得ない。

メディアで発言できるポジションを得ている人が微妙な発言になっている。

長い選挙期間で、もしかしたら為政者から発言を監視されているのではないかというような疑心暗鬼が、メディアにも識者にもあるのではないかと思う。

それがマニフェストを添削するといった次元の論争になっていて、これらそのものが批判の対象となる”古さ”なのではないかと思うほどだ。

政治が賞味期限を過ぎているとするなら、その政治体制の中であれこれいって生きてきた人たちの賞味期限も過ぎているはずである。

新たな政治体制に乗っかって生き延びようとするのはズルイことだと思うが、大方のメディアや識者たちは流れに乗ることで必死なように見える。

これから総選挙の投開票日まで3週間になった。

前回が小泉首相の郵政選挙だったとしたら、今回は小沢一郎の政権交代選挙だと思う。

言い方は悪いが、マニフェストなんて何の意味もないのだ。

今はテレビや新聞が、ポジショントークの識者たちがうだうだいっている時期なのだろう。

お盆が終わったら新たなステージに移ると思う。

国民は馬鹿ではないということが実証されるはずだ。

無責任な発言だといわれるかもしれないが、エスタブリッシュメントたちと寄って立つところが異なる国民は、世界のどこの国民よりも成長したのではないかと思っている。

永遠に(数年でも)飯が食える人たちには決して理解できないことがあるのである。









posted by 映画プロデューサー at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 野次馬的無責任発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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