2009年07月10日

選挙と映画興行は似ているのではないか?

少し酔っ払って。


ずいぶん昔、一度だけ選挙に深くかかわったことがある。

I市長選挙で、候補者の長男という立場だったから一般の人が知らない情報を得ていたし、お金の流れのこともだいたいわかっていた。

現在のように出口調査などはなかったから、基礎データをもとに五感で票を読むしかなかった。

結果は、基礎データ通りの敗北であった。

このときの候補者や支援者に対する不満や落胆は大きく、その反発と反省が、後の仕事や映画作りに少なからぬ影響を及ぼし、ある意味で自分の独自性を形成してきたが、この感覚をすべてのことに応用しようとする性癖も培われてきた。

傾向というより性癖に近い。

映画興行の場合、基礎データは原作や主演者の知名度とか人気度などであり、もちろん監督や音楽などスタッフも考慮されるが、これらの基礎データをもとにさまざまな仕掛けを打っていく。

パブリシティとテレビスポット、新聞、雑誌などの広告、タレントのあらゆるメディアへの露出、イベントなどを仕掛ける。

その反応を見つつ、次の手を打っていくというのが僕のやり方であり、映画会社の一般的なやり方であると思うが、もしかしたらこの方法論が古くなっているのかもしれないと思うことがある。

千葉市長選挙、横須賀市長選挙、静岡県知事選挙などを見ていると、その結果に果たした旧来の基礎データそのものが、役に立たないものになっているのではないかと思えるからだ。

たとえば映画でいうと、テレビで人気があるタレントでは映画の主役を担えなくなるのではないかというようなことである。

昔は政治家であれば、それが国会議員であったり閣僚であったりしたらそれだけで信頼と信用が保証されたが、今は、それがまったく機能していないのではないかと思えるのである。

インターネットの普及が、ブログの普及がコモディティ化してありがたみがなくなるのと比例して、総理大臣そのものが地盤沈下し始めているのではないだろうか。

ましてや閣僚(大臣)などである。

大臣が大臣ではなくなっているのである。

もう、基礎データの存在価値が希薄になり、それをベースにした五感では時代を読めなくなったといってもいいかもしれない。

映画は時代を読むメディアだが、テレビは時代に右往左往するメディアである。

今は、それが混同されていて、映画と政治はまったくよく似ている状況を呈している。




posted by 映画プロデューサー at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 野次馬的無責任発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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