2009年05月19日

初版2万刷(15.5トン)の『筑豊原色図鑑』という本

『筑豊原色図鑑』という本は、僕が約1年間の取材を経て1999年に発刊したものだが、このブログのトップページにも写真入で掲載しているからあまり書きたくないのだが、今日、ある人から注文を受けて発送したので書いている。

初版で2万部(1冊725グラムだから15.5トン)を刷ったら、福岡の出版社が「でたらめだ、本屋のやることではない。映画屋のやることだ」といわれたことがある。

普通、初版発行部数は3000部とか4000部らしいが、この手の本はもともと売れないからまず出版されることはないというのが、当時の
福岡出版界の常識だったらしい。

ちなみに、当時この本の出版パーティを後輩のT君(故人)が飯塚市内のホテルで開催してくれたが、代表発起人は今の麻生太郎総理大臣でとても盛大だったと記憶している。

今となっては、こうしておけばよかったとか、ああできたのになあとか思うこともあるが、あるいは恥ずかしささえ覚えてしまうが、この本がある意味で今の自分を支えている。

本の内容や出来ではなく、それを自分でやったということがである。

国も自治体もまったくといっていいくらい非協力的だった。

こちらも生意気だった。

木っ端役人なんか相手にするつもりもなかった。

「手前らが早いところやるべきことだろ!」と思いながら、人口50万人が住むエリアを毎日取材して回った。

ある女性は、「松本さんは、いつも飄々としているから」と言ってくれた。

飄々としたふりをしているだけなのだが、まあそれなりに嬉しく、元気を貰った。

ある人から見ると、傍若無人な振る舞いだったかもしれない。

新聞記者以上の、まるで検察官や裁判官のように相手をなめきっていた。

1年間の生活費や取材費を調達しなければならなかったが、僕にとっては毎日がエンターテインメントみたいなものだった。

写真は35ミリカメラで12000枚ほど撮った。

ほとんどの原稿を自分で書いたが、苦しくて反吐が出そうだった。

出版後すぐにパソコンを手に入れて、この本を元にWEBサイト『筑豊一番』を開設した。

慣れないパソコンに向かって朝から晩までページを作り続けていて体調を壊したりしたが、しばらくはWEBで生計を立てていた。

すでに10年ほど前に、九州の田舎で、50歳を過ぎた男がWEBで生計を立てていたという事実は、そう馬鹿にできる話ではないのではないかと思っている。

で、『筑豊原色図鑑』だが・・・。

すでに10年が過ぎたのに、明らかにこれを超える本が作られていないのが問題だと思ったのだ。

こんな本は、各地域に当然あってしかるべきだし、何度も更新されて再発行されていいものだと思っているが、僕の不勉強かもしれないが、まだ「これは!」という本を見たことがない。

自慢話なんかしたくもないが、自慢話にしか思えないとしたら「ごめんなさい」と謝るしかない。

かつて、日本青年会議所(JC)が日本を400地域ぐらいに分けて未来を築いていくのがいいと提唱していたことがあり、格好のよいことばかりいっているから、当時会頭だった福岡のMさんに会って400冊の本をJCでつくらないかと持ちかけたことがある。

Mさんは、「それは面白いですね。JCが考えているビジョンとも合致します」と言っていたが、それっきりなしのつぶてだった。

「情けない奴らよなあ」と思ってこの記事を書いた次第。
posted by 映画プロデューサー at 23:01| Comment(5) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
2万分の1の、「筑豊原色図鑑」持ってますよ。

編集後記に書いてある、

「・・筑豊を出ている人には望郷の念が起こり・・」

その通りの本で、私の大切にしている一冊です。
Posted by 浦田 at 2009年05月20日 22:40
ありがとうございます。

ちなみに、浦田さんはどこの出身なんですか?

僕は飯塚ですけど。

目尾(「しゃかのう」と読みます)小学校の宿直室で生まれました。

その頃、勉強が出来る子になると期待されていたらしいです。

Posted by 松本 at 2009年05月21日 00:25
お隣町だった、旧穂波町です。
今なら、同郷って事になるのでしょうか?

穂波町出身って言えないのは、ちと寂しいものがあります。

失礼ながら、
「勉強が出来た子」かどうか、私にはわかりませんが、
社会を見る目の鋭さを、いつも勉強させて頂いています。
Posted by 浦田 at 2009年05月21日 22:00
僕の母親の里が穂波町です。

南尾というところで、忠隈のボタ山のすぐそばです。

クルマで20分もかからないところだから、飯塚市と穂波町が合併する前から、その区分けそのものが僕には無縁でした。

また、僕のそういうところが嫌われたかもしれません。

子供の頃、僕が生まれ育った幸袋町が飯塚市と合併しましたが、そういう意味では僕は飯塚にまったくといっていいほど愛着がありません。

幸袋にはありますが。

いや、西鉄ライオンズとソフトバンクホークスのような関係かもしれません。

ソフトバンクホークスが気になります。





Posted by 松本 at 2009年05月21日 22:51
私の家は役場の近くにあり、役場の中と駐車場が遊び場でした。

南尾ですか、歩いてもすぐな程近いですね。

わたしも、飯塚に違和感があります。
この違和感を無くすべきなのか、
持ち続けるべきものなのか、
きっと、後者でしょうね。

やっぱり、野球は西鉄ライオンズですよね。

私は、太平洋クラブが引っ越してから、
基本的にはパ・リーグの応援をしています。
今まではオールスター戦と日本シリーズのみ
興奮していましたが、
やっと始まった交流戦、これ、いいですね。
Posted by 浦田 at 2009年05月22日 01:11
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