『鬼の研究』(著者;馬場あき子)によると、鬼とは次のように分類されています。
民俗学上の鬼(祖霊や地霊)、修験道系の鬼(天狗)、仏教系の鬼(邪鬼、夜叉、羅刹、地獄卒、牛頭、馬頭鬼など)、(訪遂者、賎民、盗賊などの凶悪な無用者の系譜)、変身譚系の鬼(怨恨、憤怒、雪辱、それらの情念をエネルギーとして復讐を遂げるために鬼となる)などです。
この分類によれば、酒呑童子はどのタイプの鬼だったのでしょうか?
あるいは、酒呑童子が鬼のような存在(実は人間)というのならどうでしょうか?
酒呑童子人間説は、民俗学から推測したかなり信憑性の高そうなものから、有象無象の山賊・盗賊だったというようなものまでさまざまな説があります。
例えば、国栖とか土蜘蛛とか言われてさげすまれる山人や、八瀬童子に代表される牛飼童など下賎の職につくものが、当時の貴族社会に反発して都の権力が届かない山中に住み浮浪化して徒党を組んだという説。
生まれたときからすでに歯や体毛があった赤子が捨てられ、その赤子が育って酒呑童子になったという鬼の子説。
弓を持ち、馬を操り、水草を追い、テントで暮らし、課税とは無縁であった傀儡子説。
あるいは、忍びの元祖といわれ、丹波の山中で修行した乱破道宗(関白道隆が下賎の女に産ませた息子)こそ酒呑童子だとするまことしやかな説。
酒呑童子=鬼=異人(アングロサクソン)というユニークな説などがあります。
酒呑童子が人間だったとしたら、一体誰だったのでしょうか?
そして、やはり酒呑童子が後世の説話作者によって作り上げられた、架空の鬼でしかないとしたらどうでしょうか?
あるいは、比喩的にいうところの、自らの内に棲む鬼が酒呑童子だとしたらどうでしょうか?
だが、その問いに言及するには、その前にこの物語のもう一方の主人公源頼光と四天王に触れておかなくてはなりません。
なぜなら、酒呑童子が単に架空の鬼だとすれば、おのずと雷光や四天王たちも説話や歌舞謡曲の世界で活躍するだけの英雄豪傑になってしまう。
また、酒呑童子が自らの内に棲む鬼とすれば、頼光たちこそ酒呑童子だったのかもしれないからです。



