2009年03月18日

危なくても耽溺する勇気が必要

昔、宇宙は膨張し続けていると誰かに言われたか、何かの本で読んだのかは忘れたが、当時としてはえらい驚きで、自分の人生観に大きな影響があったと思う。

なにしろ当時の宇宙は、絵に描かれた想像図か望遠鏡の写真しかなくて、僕にとって宇宙は、永遠に変化しないものの象徴だったから。

僕は今でも、きっと宇宙は膨張し続けていると思っているが、インターネットを始めた頃、日々膨張するWeb世界に耽溺しながら、ある痛切な感じをいつも持っていた記憶がある。

痛切な感じとは、宇宙を飛行する孤独な人類というイメージにも、卵子に向かって先を争う一個の精子の心境にも例えることができる。

また、未踏の地を行く探検家か冒険家の生活を含めた総体であり、その悲哀であると言えるかもしれない。

とはいっても、宇宙の膨張に比べたらネットの膨張などとるに足りない一過性のちんけな出来事でしかないと思うが、歴史を遡ってみたとき、奈良の大仏殿(ピラミッド)をつくる人々の凄まじいエネルギーに通じるものがあると思う。

それは一種の狂気で、もしかしたらそれが宇宙の膨張に対する人類の唯一の抗いだとしたら、それは痛切極まりないことである。

で、ふと思った。

この痛切感を分からない人には、映画であろうとテレビであろうと、今のドラマはつくれないだろうなと。

極めて危ないが、耽溺して生き残った者だけが、新たなステージに立てるというのが此れからの未来かもしれない。

寝床の中で、そう思った。
posted by 映画プロデューサー at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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