2010年02月06日

映画が本来持っている力の減退

今、映画が本来持っていた力を失おうとしている。

商品としての価値だけを評価の基準とすることによって、芸術としての価値を放棄してきた結果、日本映画が作品から単なる消耗品になりつつある。

日本映画が作品であり商品であろうとするならば、今が最後のチャンスかもしれない。

消耗品ばかりになるのを待っていたら、作品のつくり手が絶滅していて、作品としての日本映画は作れないだろう。

決して、大袈裟なことを言ってはいないと思う。

いや、もうすでに、そうなっていると言っていいかもしれない。
posted by 映画プロデューサー at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クサビが大きすぎて

クサビを打ち込んで突破口を開こうにも、手持ちのクサビが大きすぎてもたついている。

その姿は、ひた向きで健気にも見えるが、計算高い狡猾さも見え見えで、その年甲斐のなさはかなり愚かで滑稽なはずだ。

老いた獣は狩りに失敗しても、恥ずかしさで辺りをキョロキョロ見回したりすることはなく毅然としているだろうが、こちらは見物人もいないのに体裁ばかりつけて勝負に挑むことすら出来ず、問題の解決を先送りしている。

取っ掛かりをつくるためのクサビに振り回されて、まあ、それなりに悲哀感も醸し出しているとは思うが、明らかに愚かしさの方が勝っている。

クサビの最適化(このような言葉の使い方は好きではないが、それなりに分かりやすい)を図るか、クサビの打ち込み方を工夫するか、いずれにしてもクサビなくしては未来を拓くことはできない。
posted by 映画プロデューサー at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

部屋が狭いから逃げ場所がない

夜、晩飯のあと、みっちりいびられた。

部屋が狭いから逃げ場所がなく、カミさんの気がおさまるまで、じっと耐えるしかなかった。

口答えは一切せず、ただ黙ってやり過ごした。

無視もいけない。

注意深く、聞いている振りをしていなければならない。

やけに時間が経つのが遅く、ついカンシャクを起こしそうになるが、それをピクリとも表情に現してはいけない。

理屈ではない。

居候の直感である。

カミさんのウップンのはけ口というか、タン壷になることで、居候の身分がかろうじて保たれていると思っているから。

聞き流すということは、案外パワーを要することであり、効果的な処世術であり、仕事など様々な局面で欠かせないテクニックだ。

釈迦の教えだと聞いたことがあるし、ヘタに正論を言ってやりあうより何倍も効果的だったこともあるし、現代人にとって必須の方法論だと思っている。
posted by 映画プロデューサー at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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