2009年12月31日

良い、お年を!

もうすぐ年が変わる。

テレビでは紅白歌合戦をやっているし、年越し蕎麦もいただいたことだし、このまま何とか年が越せそうだ。

めでたい。

来年のことは年が明けて考えればいい。

皆さん、よいお年を!
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2009年12月30日

風邪の咳き込み

風邪がなかなかなおらない。

昨夜は布団に入ってすぐに咳き込んだ。

激しい咳と共に鼻水、たん、涙がボロボロ出る。

とても苦しい。

お陰でタバコを吸う回数が減った。

昨日・一昨日は一日に10本あまりしか吸ってない。

タバコ代が倹約できて悪くない。
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2009年12月28日

世帯主

世帯主とは一般にその世帯の主たる稼ぎ手がなるものだという。

これまでは、稼ぎがあろうがなかろうが僕が世帯主だったが、今日からカミさんが世帯主になった。

今は、カミさんが部屋を借りて、娘と同居しているところに、僕が転がり込んで居候をしているという関係性だ。

簡単な話、カミさんに「出てってよ。今すぐ」と言われると、僕は出ていかなくてはならないのだ。

いびり出される前に、自ら出る覚悟を持って行動しないと、極めて低次元の結果が待っているような気がする。

売り言葉に買い言葉で、この寒空の中一瞬にしてホームレスになる可能性がある。

年をとるに連れて寒がりになっている。

寒さ厳しい夜、冷えきった体と冷たい電車との接触など、考えただけでもごめん被りたい。

そして、そんなことを考えていると、妙に楽しくなる。

初めての体験で、これまで想像もしなかった思考回路が開発されたからかもしれない。

不埒と言えば不埒なことであるが、これからどうなっていくのか、自分がどうしていくのかがまったく予測できず、まるで冒険家のような心境だ。
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引越し作業が終わった


ほぼ引越し作業を終えて、「明日も天気よさそうだから、引越しの間着ていたシャツやズボンを洗濯に出していいかな」と遠慮がちに聞いて、有り難くも了承してもらい、風呂に入れてもらってさっぱりした。

頭を洗い、ドライヤーを借りて髪の毛を乾かすと、気持ちがよくてまた鼻唄が出そうになった。

カミさんと娘が自力で借りてる1DKの部屋だけど、それは狭いかもしれないけど、ホームレス同然の僕にとっては天国みたいなものだ。
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2009年12月27日

鼻唄が出た、何曲も

今日、思わず鼻唄がでて、自分で自分に驚いた。

それも、何曲も。

ここのところ何年も、鼻唄なんて歌った覚えがないので、本当に驚いてしまったのだった。

楽しくなる。

多分、精神的に解放されているのだと思う。
明らかに、カミさんと娘のお陰だ。

紆余曲折は必要なんだと確信する。
posted by 映画プロデューサー at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

風邪で夜中の咳き込みがきつい

熱がないから耐えられたが、とてもきつい風邪を引いてしまった。

風邪気味から日が経つに連れてひどくなり、引越し前後にピークに達して、鼻水、たん、咳き込みに悩まされた。

急な引越しで睡眠不足が続き、それが風邪をひどくしたのかもしれない。

昨夜は我慢できずに早めに寝たが、夜中の咳き込みはあったものの、朝起きたら体がずいぶん元気を取り戻した感じかあった。

タバコを吸ってみて分かった。

喉への違和感が減少しており、いちいち咳きが出ることもなかった。

まだ、鼻水、たん、咳は続いているが、快復へ向かい始めたようだ。

今日はパソコンと周辺機器をつないだり、ベランダにパイプの棚をセッティングしたり、風邪をなおしなおしの軽作業だった。
posted by 映画プロデューサー at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

クリスマスイブが引越し前夜

12月25日

昨夜は引越しの準備で寝たのが3時過ぎ。

7時半には起きて荷造りを再開するが、カミさんと娘は化粧タイムがあるし、とにかく作業が遅く2時間遅れでレンタカーを取りに行く。

結局、トヨタハイエースロングで3往復。

環八の外回りの渋滞がひどく、最初の行きは片道一時間もかかった。

二度目からは仙川経由の道をたどって時間を短縮。

だが、19時に最後の荷物を運び終わり、レンタカーを返却出来たのは、返却時間ギリギリの20時ちょっと前だった。

荷物を運び込んだままの部屋に寝るスペース確保してもらって、近所のスキ屋で遅い晩飯。

朝から晩まで肉体労働で、空気が乾燥しているから、きちんと冷えたビンビールがメチャウマ(こんな言い方ぴったり)だった。

この夜も、3時過ぎまで荷物の整理。


12月24日

クリスマスイブが引越し前夜。

まあ、路頭に迷うわけでもなく、どうってことないと言っておこう。

今夜は昨夜に引き続きありもの鍋だ。

豚肉、冷凍ロールキャベツ、フカヒレ入りスープ餃子、白菜、ネギ、春菊、モヤシ、ホウレン草、葛きりで、なんとも贅沢なメニューだ。

明日も鍋予定だから、食べきらなければ残しておけばいい。

さあ、間もなくカミさんが帰りつく。

娘はさっき帰って来て、パソコンに向かってラジオを聴いている。
posted by 映画プロデューサー at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

ケータイ様年越し完了

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明日引っ越しで、“ケータイ命”のような状況が現実化してきた。

T・Iプロデューサーのオフィスが年明け早々に転居を余儀なくされ、ふが悪いことにお父上が倒れられ、明日鹿児島にたつとの連絡があった。

「なんとか、自力で年を越えてください」とも言われた。

K・M監督は入院してるという。

「年が越えられるかどうか、ギリギリまでわからない」とメールに書いてあった。

S・Nさんに無理をいって仕事の前払い金(仕事も決まってないのに)を振り込んでもらって、とりあえずケータイ料金だけは払ってある。

電話とメールでコミュニケーションが図れるし、ネットに接続してニュースなどの情報を仕入れることができるし、ブログを使って情報を発信することもできる。

テレビも見れる。

おサイフケータイ、モバイルSuicaも利用している。

時計がわりだし、目覚まし時計機能も助かる。

しこうして、ケータイ様だけが一足早く年越しを決めた。

引越しさえすれば、路傍で凍え死ぬこともなかろうが、まだまだ予断を許さない状況が続きそうだ。

二段ベッドをバラシ終わって。
posted by 映画プロデューサー at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見限られて当然

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下高井戸の不動産屋によってキーを受け取り、高井戸の部屋を見に行く道々、様々なことを考えた。

よくよく考えると、見限られて当然のようなことばかりやって来た。

ルーズ。

これに尽きるか。

来年とは言わず、今日からこの悪癖を直そう。
posted by 映画プロデューサー at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見限られた

タイミングの悪い人はいるものだ。

小さな自分の世界を持っている。

その人は、自分の世界を正しいと信じている。

僕の周辺に少なからず存在じ、時おり僕を困惑させる。

僕を見限るものがいる。

金も、能力も、力もないのに、僕を見限るなんてとても信じられないことだが、どうもそれは現実らしい。

それにしても、ナメられたもんだ。

彼らは何を夢見、何を実現しようとしているのだろうか。

それすらもない、それすらもわかっていない、ゾンビじゃなかろうに。

能力も力もないのに、人を見限るなんてとても信じられない。

もうこちらからは、一切連絡はしないことにしよう。
posted by 映画プロデューサー at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

松本廣のモバイル漂流記

暮も押し詰まった明後日、狛江から高井戸に引越しをする。

で、明日の夜から20日間ほど、ネットがつながらない。

引越し、年末年始、ADSLから光へのインフラ変更などが重なって、もしかしたらそれ以上の長期になるかもしれない。

だからというわけではないが、このブログのタイトルを”コンテンツ・プロバイダーへの道”から”松本廣のモバイル漂流記”へ、思い切って変更することにした。

もう、コンテンツプロバイダーなんかに興味がなくなっていたし、この年になってまた一大転機を迎えたためであるが、自由奔放な表現の可能性を模索したいと思ったからだ。

明日、PCで更新できるかどうかわからなかったので、とりあえず今日、タイトルとデザインを変更した。

これから20日間ほどはケータイで更新する。

様々な実験をするつもりだ。







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2009年12月20日

正月休みを利用して一点突破を図る

昨日”一点突破、ポートフォリオでは通用しない”という記事を書いたが、実を言うと僕はいつも”一点突破”でやってきた。

最初の東京時代に、一度だけ2本の映画をほぼ同時にクランクインさせたことがあるが、そのときの仕事はプロデューサーというより社長業だった。

人がいっぱい出入りして、お金も結構回っていたが、ちっとも面白くなかった。

その後の九州時代も一点突破だった。

ただ、僕が何かをやろうとするとき、T君が必ず「面白いかもしれないが、大義名分がいるな」と言っていたのを思い出した。

だから僕は、大義名分を考える癖がついた。

ただ、大義名分という言葉があまり好きじゃなくて、”理念”という言葉を使って企画書を書いた。

次に戦略を練り、ターゲッティングし、それを図解した。

誰もが一目でわかるように。

図解はポートフォリオ戦略のときもやった。

図解が好きなのではなく、人に理解してもらうことが好きなのだ。

企画には自信があるから、理念、戦略、ターゲッティングをしたら、ピンポイントに企画を持ち込みながらネットを利用した空中戦を仕掛け、全面展開をするという考え方だ。

と、同時にやらなければならないことがある。

シナリオを作成するということだ。

これらのことを、一人で、正月休みを利用してやりこますつもりだ。







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2009年12月19日

一点突破、ポートフォリオでは通用しない

ポートフォリオという言葉に振り回されてきた。

これは余裕資産を振り分けてリスクを分散するという考え方だと思うが、この考え方を勝手に自分の仕事に応用して、余裕のある才能(ないのに)を様々なジャンル(あるいはカテゴリー)に振り分けて仕事を効率的に進めようとしてきた。

それがうまくいかなかった。

というか、もうポートフォリオという言葉自体がむなしいものになっているのに、今までずっとこの方法論を取り入れようとしてきた。

これからは一点突破を狙う。

もう、あれもこれもは通用しない。

ましてや余裕がない才能では。

これからは槍でなくてはならない。

そして出来たら、楯ではなく、一網打尽にする網を持ちたい。

そんな考え方を研究しながら、強力な槍を形成して行こうと思っている。






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死と結びつくと”一期一会”という言葉は厳しい

やんごとなき事情があって、クリスマスあたりに引越しをしなければならなくなった。

いやいやなのではあるが、こうなったらしょうがないので積極的に取り組もうと思っている。

まず、10年以上管理運営してきたホームページを閉鎖し、日記はこのブログに一本化するつもりでいる。

ホームページ閉鎖と同時に、このブログのタイトルも変更するつもりでいる。

次に、暮れから一ヶ月間ほどどこかにこもり、集中的に、ある企画のシナリオを書こうと思っている。

引越しの準備をしながら、今週から来週にかけてこもり先をさがす。

こもり先が見つからなければ、引越し先になるだろうと思われるかもしれないが、どうするかはまだ決めていない。

自分としては捨て身の勝負に出たという意識であるから、マッドスルー的生き方を選択したのだから、一般論は通用しないのである。

そんなことを考えていると、”一期一会”という言葉がふいと頭に浮かんできた。

田舎ではよく聞いたり、見たりしたありふれた言葉だったが、茶もやらず、書もできず、俗にまみれ、人間ができてないから、「出方によったら、二度と会わねえぞ」というような意味に取れたりして、もう一つよく理解できない言葉だった。

”一期一会”という言葉を使う人に、たいした人物がいなかったということもあるかもしれない。

そして今、この言葉が使用する人の死と結びついたとき、凄まじい厳しさが生じると感じた。

たとえではなく、趣味などでもなく、ましてや古臭い教養の発露なんかではなく、この言葉が自然体で使うことが出来るようになりたいと思った。






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2009年12月17日

年末に本格的なマッドスルーの世界へ突入

梅田望夫氏のブログで”マッドスルー”という言葉を知って以来、ブレークスルーという言葉と対比しながらよくこの言葉を使う。

ブレークスルーは立ちはだかる課題や問題を知的に解決するためのアプローチ法で、言い換えると台風や濃霧を前にした船がそれを乗り切るための方法論だが、マッドスルーは沈没する船から脱出して生き残ろうとする意欲であり、それを楽しむ姿勢であると解釈している。

マッドスルーを自分なりに翻訳すると、”捨て身の勝負”というのが最も近い。

大きな映画会社でもない限り、あるいはその系列下でない限り、映画を作るということは常に捨て身の勝負だった。

テレビなどとは違って、今も映画は常にそうであるべきだと思っている。

でも、難民や特別な事情がない限り、家族生活がマッドスルー的状況になるのがいいとは思っていない。

平穏無事であるのがいい。

と思うが、自分だけでなく家族を巻き込んで、10年に一度あるかどうかの事態を迎えている。

とても日記やブログに書けることではなく、非公表のノートに記録をとるように、毎日のことを書いている。

その一部を公表しようかどうか迷って、ノートを読み返したらまだ公表しないほうがいいと思った。

出来たら啄木のようにローマ字で書きたいような気分だ。

ホームページやブログ、twitterのようなWEBメディアが出現して、もう10年以上それらを利用してきた経験から、まったく表現方法を模索しているといっていいのかもしれない。

日記、小説、詩、短歌、俳句、川柳などが融合合体した言語表現、それだけでなく音楽、アート、映像が一体となった表現方法があるのではないかと思っている。

それは今でも、利益を上げようとしなければ可能なのだから。

それこそが、もろマッドスルーの領域になることだ。



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2009年12月12日

自分の才能をどこまでも信じるという狂気

昨日の寝がけ、”自分の才能をどこまでも信じるという狂気”というものが必要なのではないかと考えながらベッドに入り、そう考えながら朝起きて忘れてしまっていたらその程度の問題だろうと思っていた。

そう思っていたら睡魔が襲ってきて、おかげですぐに眠りに入ることができた。

朝起きると、ベッドから出る前に昨夜の想念が頭に浮かんできた。

「うむ、これは案外大事なことかもしれない」と思った。

同時に、「これは自分だけに通用することかもしれない」とも思った。

どこかで、自分の才能を信じていないからである。

T君もカミさんもそう思っているようだし、最大の味方であった母親も応援することにくたびれて次第にそう思っているふしも感じられたし、自分でもきっとたいして才能がないのだろうなと思うようになっていたし、それはみんな当たっていた。

でも、それじゃ生きられないとしたらなんとする。

この不景気で、この経歴で、この顔で、この年では、ハローワークに行っても仕事にありつけない。

どうする?

才能を過信してでも、突っ走るしかないのではないか。

それは口で言うほど簡単なことではない。

狂気がいる。

自分だけでなく、とても困難な次代に差し掛かっていると思っている。

教養や、知識や、知恵ですら、説得力を持たずに空回りしている。

今日、図書館で気になっていた【特別対談】「情報革命期の純文学」東 浩紀+平野啓一郎(新潮20101月号)を読んだ。

新春の特別対談で、長い割には期待はずれ(そう期待はしていなかったが)の対談だった。

編集部の狙いそのものが古い。

「情報革命期の純文学」なんて、タイトルがちっとも格好よくない。

古い編集部の企画に乗っかったお二人もおかしい。

衒学的ともいうべき難解な言い回しで、純文学をリードする若き旗手といった趣はなく、まるで純文学の講釈をたれる講釈師ようなたたずまいだった。

きっと、お二人は後で恥ずかしいと思われただろうが、もう、完全に新潮という雑誌の存在価値もないと思った。

対談の中で何度もドストエフスキーの名前が出て、ドストエフスキー好きの僕としては大いにうなずけるところもあったが、まさかドストエフスキーを日本の純文学という小さなカテゴリーで捉えているわけないよね、といいたくなるような対談だった。

若くて頭のいい、想像力もある物知りたちが空回りしている。

由々しきことだ。

才能のある人たちが空回りしはじめていて、これまでに評価されてきた才能というものが賞味期限が切れて、これまで評価されてこなかった才能が求められているのではないかと勝手に思い、”自分の才能をどこまでも信じるという狂気”という想念が必要なのではないかと考えたわけなのだが、これはとても恥ずかしいことでもあるのだ。

僕はとりあえず、ブレークスルーからマッドスルーの時代に差し掛かっており、頭で考えるのではなく五感第六感で事に当たる能力こそがこれからの才能だと考えている。

そういう意味での”自分の才能をどこまでも信じるという狂気”でした。




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2009年12月05日

姑息な業界と役所の癒着

「金儲けをするなら、貧乏人から金を取れ」というらしいが、税金で食べている人たちは、よほど低所得者から金を巻き上げるのが好きなようだ。

何年か前に低価格の焼酎やビールもどき酒に増税をし、今度はタバコを増税するとのこと。

周囲に、労働の後の一服が楽しみな低所得者が多く、みんな増税されたらタバコをやめると言っている。

姑息な業界と役所が癒着したこんな仕打ちもある。

1千円カット」も洗髪設備を、義務化が加速

 「カットのみ、10分1000円」など低価格を売りものに店舗を増やすカット専門の理容店にも、洗髪設備を設置するよう条例で義務付ける動きが加速している。

 店が全国に広がり始めた2007年以降、条例を制定したのは10県。06年以前の条例化も合わせると19道県となり、宮城、山形両県は開会中の県議会に条例案を提出した。「髪を洗わないのは不衛生」という理由だが、カット専門店からは「営業に支障が出る」と反発の声が上がっている。

全文を読む


洗髪設備を強制することで、散髪の値段が上がって低所得者にしわ寄せが行くなんてことは関係ないらしい。

髪なんか家に帰って洗えばいい。

まあ、髪の毛も自分で切ればいいことだが。




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2009年12月04日

税金で食べている人の報酬明細は公開されて当然

こんなことが記事になるのがおかしい。

阿久根市長、職員ボーナス額も公開へ

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長は4日、市議会本会議で、職員に10日支給される期末勤勉手当(ボーナス)の額を公開する意向を示した。


 竹原市長は今年2月、全職員の給与を1円単位で市のホームページ上に公開し、物議を醸している。

(2009年12月4日21時24分 読売新聞)


”物議を醸している”って何?

100年前(極端に言うと)から市役所が明らかにすべきなのに。

竹原市長はよくやっていると常々思っていた。

ちょっと思い出しただけで、こそ泥のような役人たちの顔が思い浮かべられる。



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2009年12月01日

映像コンテンツの企画開発のオープン化は可能か?(1)

もう10年以上前からホームページを開設したり、ブログを始めた頃はブログサービスを提供する各社にそれぞれブログサイトを持ったり、それなりにインターネットにかかわってきた。

mixiにもマイスペースにも登録したし、youtubeもニコニコ動画もGyaoも利用したし、セカンドライフも覗いたし、ヤフーとグーグルのメールを利用しているし、ケータイのiモードも定額制にしているし、それなりによかったと思うことは多々あったが、ケータイ動画の企画を考えた頃から飽きが来て、twitterなどには食指さえ動かなくなった。

最近も新しい映画および映像の企画書を書き続けているが、これらこそネット上に公開したいのだが、ビジネスを考えるとそれも出来ない。

今日、旧知の映画監督と電話で話したが、電話の間中こぼし続けていた。

彼はある企画をもう1年以上某映画関係会社に持ち込んで動かしているがなかなか成立にいたらず、だからといって(業を煮やして)他社に持ち込むわけにはいかなくて、このままでは飢え死にしてしまうとこぼすのだった。

映画界はものすごく狭い世界だ。

劇場のスクリーン数は全国に3000以上あるが、大半はチェーン化されていて数えるほどの配給会社(劇場経営も兼ねているところも多い)によってコントロールされているから、下手な動きをすると企画そのものがオミットされてしまう。

そうでなくともオミットはある。

A社に持っていった企画が何らかの事情でA社の企画に上らない(断られた)とき、まずしばらくは(数年間もかかるときがある)B・C社には持っていけない。

即持って行こうものなら、B・CからA社で断られたのを内に持ってきたと言われ、下手をするとその企画は永遠に没になる可能性がある。

テレビは映画ほどではないが、まま、あるようである。

他の業界の人に話すと、とても理解できないといわれることが多い。

だから、ネットで企画のプレゼンテーションを行うシステムのことは10年以上前から考えているが、いくつかの企画は密かにそうしたこともあるがあくまで密かであって効果はなく、なかなかいい方法が思いつかないで今に至っている。

こんな状況をこのまま存続させていると、いつまでたっても自らの企画を実現させようとする監督やプロデューサー、製作会社に未来はないと思うから、いつも何か方法はないかと考え続けている。

今日はまた改めて、この由々しき問題を思い起こされた。

この問題を解決するにはインターネットを利用するしかないと思っているのだが、興行、配給、下請の製作プロ、スタッフに問題意識がなく、前途ははなはだ暗いといわざるをえない。

企画開発の開かれたマーケットを作るというようなたいそうなことではなく、企画はどこに持ち込んでもいいという当たり前のことが行われるようになることが、日本映画の底上げにつながると思うのだが誰もそれを言っていない。

末端の製作プロやスタッフに大きな顔はさせないという見えない力が働いているのだが、それを指摘する声はない。

インターネットを利用してここらあたりから突破口を見つけるしかないか、などと考えながらこの記事を書いている。




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