2009年10月05日

人は死んで未来を切り開くこともある

日曜日の朝で割合のんびりしていた。

カミさんも娘も在宅で、テレビのチャンネル権はない身としては、コーヒーとトーストの朝食をとりながら、更新が少ないけれど日曜日のネットを見ていていた。

ネットは、サモア地震とスマトラ地震の続報、2016オリンピック招致で東京が落選したとか楽天がクライマックスシリーズ出場が決まったとかいうニュースで目新しさはなかった。

チャンネル権が回ってきたのはテレ朝のサンデープロジェクトからで、この番組で中川昭一元財務大臣が亡くなったニュースを初めて知った。

すでに忘れた人だったのでそんなに驚きはなかったが、それはテレビもそうだったようだ。

政権交代で民主党鳩山内閣の動向一辺倒のテレビは、あの自民党のこともおざなりで報道しているから、「えっ、それ何?」「後回しでいいでしょ」というような雰囲気があった。

痛ましい。

その後いくつかのニュースや情報番組でも中川氏の死が伝えられたが、各局で決まったように先のG7における”モーロー会見”の映像が繰り返し流された。

メディアとしてのテレビの暴力的なパワーと、ずば抜けた映像コンテンツ(演技を超越したリアルな醜態)とがあいまって、これにはどんな有力政治家といえども太刀打ちできないだろうと思った。

”絆創膏”の赤城大臣も”みぞうゆう”の麻生前首相もかなり面白かったが、世界に向けた会見でやらかした”モーロー会見”の前にはドメスティック・コンテンツでしかない。

中川氏は、町村氏や武部氏のように比例でも当選できず、落選の憂き目に合い、ことあるたびにあの”モーロー会見”がテレビで再生され、ネットでは全世界に常時配信され続けている。

これは、お坊ちゃんの二世議員でなくてもこたえる。

ましてや中川氏は、ご本人も意識していたと思われるが、少し苦みばしった2枚目だ。

あまりにも弱点が多すぎる。

人は誰も死ぬ。

90歳で亡くなった親父なんかはいいのだが、敬愛していた監督のY・K、しばしの間デスクをやってくれたK・Y嬢、幼馴染で医者のT・F、先輩マネージャーでありながらプロデューサーだったS・Mさん、後輩マネージャーのS君・・・他にもいるが、僕よりもずっと若く亡くなっている。

それぞれ死因はわかっている。

この記事を書いている今、行政解剖の結果、中川氏の死因は不詳だということらしい。

事故でもなく、病気でもなく、自殺でもなく、酒や薬の飲みすぎでもなく、56歳の若さで、ベッドの上で死ぬということはどういうことだろうかと思う。

僕は中川氏より5歳も年上なのだから。

かわいそうにというより、よかったねという気持ちがある。

中川氏の死に世襲政治家の悲哀が集約されているような気がする。

政治家としての無念より、政治家以外の人生を歩むことが出来なかった無念というものはないのだろうか。

中川氏の死によって、政治家の世襲を法律で禁止することではなく、世襲そのものが割に合わないという価値観が生まれ、新しい未来が開けないものだろうかと思った。






posted by 映画プロデューサー at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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