2009年05月05日

私は天邪鬼を飼っている

ひらめきと直感は違うと思う。

これまでは直感を大事にしてきたが、最近はひらめきに頼って生きている。

だが、ひらめきと直感の違いはおおよそわかっていても、論理的に説明できる知識も教養もないから、少しでもわかろうとして脳科学の茂木健一郎氏やロボット工学の前野隆司氏の著作を読むことが多い。

哲学や宗教、バイオに関する書籍もよく読む。


ずっと昔、「私の中には天邪鬼が住んでいる」と書かれた文章を読んで、もう誰が書いたのかは忘れてしまっているが、なんとなく「嫌な大人だなあ」と思った記憶がある。

「私は天邪鬼だ」と言えばいいのに・・・。

”人を小ばかにしたような””自分だけがわかっている”と言いたげな様子が鼻について、”嫌な大人”だと感じたのだと思う。

そして数十年が経過して・・・。

今、僕にははっきり言えることがある。

「私の中には天邪鬼が住んでいる」と。

天邪鬼は”私”ではない。

”私”はこれまで自分の中の天邪鬼を制御しようと努力してきたが、力で制御するのは難しいことがわかった。

理由は、力の問題ではなく、”私”より天邪鬼のほうが素早いからである。

天邪鬼は常に”私”の一歩先を走っていた。

天邪鬼は”私”より先に判断し、行動し、かく乱する。

腕力で押さえ込めるわけがない。

ところで、天邪鬼とは一体何者なのだろう?

もう、死語か?


そこで、天邪鬼を辞書で引いてみた。

あまのじゃく3 【天の邪▽鬼】
〔補説〕 [2] が原義

[1] 人の言うことやすることにわざと逆らうひねくれ者。つむじまがり。あまのじゃこ。

[2] 昔話に悪者として登場する鬼。「瓜子姫」に出るものが有名。記紀神話の天探女(あまのさぐめ)に由来するともいわれる。

[3] 仏像で四天王や仁王が踏みつけている小さな鬼。また、毘沙門天(びしやもんてん)が腹部に付けている鬼面。

[4] 鳥キタタキの別名。



これじゃ、僕でなくとも「私は天邪鬼だ」とは言えないわけだ。


天邪鬼は何かに直面したとき、”私”がじっくりと考える前に、瞬時に判断をする存在だ。

またあるときには、”私”がよく考えて判断を下そうとすると、遠くのほうから、あるいは木の上から冷ややかな目で見つめていて、”私”の判断を変更させようとすることもある。

天邪鬼は”直感”に似ている。

実に素早い。

だが、振り回されてはいけない。

天邪鬼は人間離れしている。

爬虫類や鳥や獣に似ている。

「私の中には天邪鬼が住んでいる」という言い方が、手に負えない天邪鬼を上手に閉じ込めるかごを設定したのだとしたら、先人の知恵に学ばぬ手はないとも思った。

炭鉱の坑内でさえずるカナリアのように、”私”というかごの中に天邪鬼を飼っておけば、決定的な局面で役に立ちそうだなんてほくそえむ。

そして、ここまで書きながら、突然、「私は天邪鬼を飼っている」というフレーズがひらめいた。

今、一方でなんとおろかなヤツと自分のことを思うが、いた仕方がないことだ。

きっと、天邪鬼とも異なる、別な存在の何物かが私の中に住んでいるに違いないからだ。

「何かペット飼ってる?」

と誰かに聞かれて、

「ああ、天邪鬼を一匹!」

と答えることが出来たら、最高の気分だろうななんて思った。

そして、最初に書いたようにひらめきと直感は違うが、しっかりと結びついていると思った。

天邪鬼はひらめきにとって、幸運を呼び寄せる最強のセレンディピティではないかと。



posted by 映画プロデューサー at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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