2009年04月14日

未知なる領域に侵入するときの背徳的な感覚

詳しくは書けないが、いい意味で”狂気”を取り込み、新しいサイトの企画を考えている。

何が「いい意味」かとも思うが、悪い意味で”狂気”など取り込めるわけがない。

企画を考えすすめていると、未知の領域に踏み込むような、入ってはいけない領域に侵入しているような気になり、何度も背徳的ともいえる感覚を覚える。

”神様”とか”シャーマン”とか”リトルゴッド”などの単語とともに、”生体の一部をカプセル保存したバイオスペース”というようなフレーズで企画を考えているから。

”この世とあの世をつなぐ空間”というフレーズも使った。

僕自身は結構ユーモアたっぷりに書いているつもりだが、逆に不埒極まりないと取られかねないという恐れがあり、罰でも当たりそうな心境なのだ。

前にも書いたが、すでに二人の女性に企画の概要の話をして、強烈な拒否反応を示されたことでもあるし、なかなか前途多難である。

ただ相当面白い。

今日、後輩の若いIプロデューサーから連絡があった。

面白いと思ってくれたのか、プラットフォームを構築するパートナーを紹介したいといってきた。

まあ、呆れられて話にもならないかもしれないが、ワールドワイドに展開できる企画だし、爆発的にヒットする可能性も秘めていて、多少恐ろしくはあるが楽しみだ。

近いうちに詳しく紹介できたらいいなと思っている。



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2009年04月13日

映像コンテンツ業界のヒエラルキー(3)

テレビは映画に比べれば新しいメディアである。

かつては映画界に入れなかったからテレビ局に入ったという人が少なくなかった。

映画界からも多くの人材がテレビに流れていっているが、その多くは映画界で地歩を築けないままやむなくといった人が多かった。

何を言いたいかというと、映画と比べて新参者のテレビが”電気紙芝居”などと不当に貶められていたことがあり、それはテレビの登場によって映画界が壊滅的な打撃を受けた後もかなり長い間続き、その劣等感のような感情が多くのテレビマンに見受けられた。

その後、テレビそのものの社会に対する影響力が増大し、テレビ局員が他の一流企業以上の高給取りになっていくに従って単なる昔話になった感があるが、今のテレビ局の映画製作にかかわり方を見ていると”当時の劣等感がトラウマとなって残っている”のではないかと思うときがある。

映画に対するオマージュがなくて、テレビを作るように映画を作っている。

映画にかかわりがなかったテレビマンを起用し、あるいは映画に関わってきた者を従え、彼らを使いこなす態度に、内側から映画そのものを食い破るようなエネルギーを感じるときがあった。

そして今、そのテレビを食い破るような勢力が現われ始めている。

ネットやケータイの進化によって、雨後の竹の子のように増殖するマイナーメディアが巨大な象と化したテレビにとりつき、耳や鼻や尻の穴という穴からその体内にもぐりこんでいるような気がする。

おごれる者久しからずだが、マイナーメディアのリーダーたちは「動いていればよい」という考えで映像コンテンツに関わってきている。

懐かしい”電気紙芝居”ですらない世界だ。





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映像コンテンツ業界のヒエラルキー(その2)

映像コンテンツは、映画、テレビ、ビデオ・DVD、BS、CS、ネット、ケータイなどのいわゆる各ウィンドウで一般に供されると思うが、映画の立場からすれば、あれこれ考えずとりあえず映画を作っておけばよかった。

だが、テレビ局が絡んだ映画を作るときは、テレビで放映するときのことを考えて作らざるを得なかった。

暗に要求されるし、要求されなくても自主的に当然のこととして捉え、画面のサイズや照明などに注意を払った。

それで映画のクォリティがあがるのならいいが、ほとんどの場合映画の特性がそがれた。

映画の場合はまず映画館にお客さんをどれだけ動員したかという興行収入の高が問題だが、テレビの場合は視聴率であり、DVDの場合はセルやレンタルでの売り上げが成功不成功を決める。

最近では、映画興行をを宣伝として捉えたDVD販売戦略が普通であり、DVD販売会社が製作に絡んでいるときは当然DVDが売れるように作らなければならない。

話題性のあるキャスティング、スタッフィングはもちろん要求されるが、何よりもDVD店舗の棚に区分けされているジャンルにはまる作品であることを求められる。

いや、ジャンルに分類されない企画は、作る前にまず没であるといってもよいかもしれない。

言いたいことは、映画とテレビとDVDはまったく異なる映像コンテンツなのに、他の放送・通信およびネット・ケータイまで加わって、それぞれのウィンドウが持っている特性を壊しているのではないかということである。

その伝で言うと、日本映画は限りなく映画でなくなっていると思う。

ハリウッドが3D映画に向かっているらしいが、いいか悪いかはわからないが、しゃにむに映画であろうとしているのではないか?

あがいているのでなければいいがと思いながら。




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2009年04月12日

ショーケンの”神様お願い”を聴いた

新しいサイトの企画を考えていたら、ショーケンの”神様お願い”に行き当たり、全部聴いてしまった。

懐かしさもあるが、なかなかいいよなあと感じた。



聴き終わって、当時のことを思い出した。

新宿のラセーヌというジャズ喫茶でちょっとだけ働いたことがあり、超売れっ子GSグループ(タイガース、スパイダース、ブルーコメッツ、テンプターズなど)以外はだいたいここで見たり聴いたりしていた。

お金を貰いながら流行のものを知るというのが目的で、相当いい加減な働きぶりだったと思うが、看板書いたりしながら”ブルーライト横浜”で大ヒットを飛ばす直前のいしだあゆみさんと何度か喋ったことなども思い出した。

またずっと後に、ショーケンのマネージャーだったW君(T君かもしれない)から冗談ぽく、彼のマネジメントを頼まれたりしたことなども思い出した。


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2009年04月11日

映像コンテンツ業界のヒエラルキー(その1)

下記の図は自分で作ったが、いい悪いではなく、映画プロデューサーとしての立場から見た映像コンテンツのヒエラルキーである。

hierarchie-01.gif

各立場から見たらまた違う図があると思うが、正直言って長年この図で世界を見てきた。

頂点にいることに胡坐をかいてきたかもしれないと思う。

小さな世界だ。

これから数度にわたって、各立場からこの世界を見てみようと思っている。

また、この図をホームページビルダー付属のウエブアートディレクターを使って作る気になったのは、”日本映画の監督たち(仮題)”という企画を思いついたからであり、そのこともあわせてこのブログに書いていくつもりだ。

”日本映画の監督たち(仮題)”の企画はさっき思いついたばかりだが、僕が考えているイメージのものはネット上で調べた限りでは存在せず、案外とやりがいのある仕事になるかもしれない。

思いついたことは、ネットでもリアルでもすぐに実行に移すつもりである。

まあ、今夜はこんなところで・・・。





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萩原朔太郎の散文詩風な小説『猫町』

ひょんなことから萩原朔太郎の散文詩風な小説『猫町』があることを知った。

図書館で借りてきて読もうかと思ったが、短編で短いのでネットの青空文庫で読んだ。

下記の写真は、作品中に町の光景が反転して見えるくだりがあり、最近撮った写真で試してみたものだ。

左がノーマルで、右が反転させたもの。

090411.jpg

『猫町』では、ノーマルな世界では煙草屋に座っている胃病の娘が、反転した世界では”杏(あんず)のように明るくて可憐(かれん)”な娘に変貌した様子が書かれているが、これまでに何度か似たような経験をしたことがある。

最近では新宿駅地下街でのこと。

新宿東口地下街から待ち合わせをしている西口地下街の喫茶店に急いでいたとき、地下鉄新宿駅改札あたりからすぐ左に上がればその喫茶店があるのだが、地下街を行けども行けども思い当たる光景が見えてこない。

待ち合わせ時間は過ぎているし、あせりながら急ぎ足で歩いていると新宿三丁目の改札口が眼にはいってきた。

逆走していただけなのだが、このときは地下街が反転しているように見えたし、あせっている自分以外の通行人たちはにこやかで優雅にすら見えた。

方角を知覚するといわれる三半規管は悪くはないと思うが、耳掻きで耳の中をいじりすぎたことが多少関係していて、あせったときなどにこのような経験をするのかもしれない。



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ブログのタイトルを変更するということは

まったく個人的なことなので、出来たらスルーしていただきたいと思いながらこの記事を書いているが、案外大事なことを言おうとしているのではないかという気持ちもあり、いつもどおり書き続けたいと思っている。


最近、このブログ「コンテンツ・プロバイダーへの道」のタイトルを変えようかと考えている。

自分の願望と使命感のような気持ちでこのタイトルにしたのだが、開設以来3年以上も経過しているのに、一度もプロバイダーであったことがない。

ないものねだりはよくない。

で、タイトルの変更を考えているが、まだ考え始めたばかりでこれといったタイトルがあるわけではない。

前の記事で書いたが、”魂をデジタル化するビジネス”に関わるタイトルがいいと思っている。

”DNAを含む生体の一部保存”もリンクしたタイトルがあったらもっといいと思っている。

まあ、この記事を読んでいる人には関係ない話だが、いつも関係ない話ばかり書いていて何を今更という話でもあるのだが、「これっ!」というタイトルをつけたい。

そして、そのタイトルに負けないような内容の記事を書きたい。

ステージを上げたい。

また、ないものねだりをしているような気がするが、年甲斐もない向上心の表れと思ってお許しいただきたい。

でいっそだから、”コンテンツ”とか”プロバイダー”なんてお年寄りが知らない単語を並べるのではなく、誰もが知っている言葉のタイトルにしたいと思っている。

タイトルを変えようとするきっかけがそうではあっても、”クラウドコンピューティング時代が到来する今、魂をデジルタル化して・・・・・バイオテクノロジーとコラボレートしたビジネス”なんてもってのほかだ。

”道”という言葉は残しておきたい気持ちがある。

究極のコミュニケーションツールを提供するのが趣旨だから、”コミュニケーション”という言葉でなくとも、それを感じさせる言葉が欲しい。

ちょっと怪しい、辞書にも載ってない”同通”という言葉があるが、そんな感じかなとも思う。

ただ、怪しいのはいいのだけど、語感も悪くないのだけど、文字が美しくないのが趣味に合わない。

造語で”道通””導通”動通”などという意味ありげな言葉をでっち上げる手もあるが、いかにも安易であり気にくわない。

最低、”道”か”通”のどちらかの言葉(英語でも)は入れたい。

整理すると、”魂””デジタル””生体””保存””道””通”ビジネス”あたりがキーワードかと思うが、エンターテインメントの要素が感じられない。

他に、エンターテインメントを感じさせる言葉がいる。

明日も考えよう。

ここまでのお付き合いありがとうございました。
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2009年04月10日

魂をデジタル化するビジネス

前の記事の続きのような。


今日、二人の女性と長電話をした。

その内容を簡単に言うと、「各人の魂(たましい)をデジタル化して末代まで残すビジネスを考えているけどどう思いますか?」というような話である。

一人の女性はすぐさま拒否反応があった。

「魂までデジタル化する必要なんてないのじゃないですか」

もう一人は、

「これからはそうなるのでしょうね、私にはわからない」

実は話はもう1つあって、「DNAを含む生体の一部を最新の技術で千年以上完全に保存出来るようにして、デジタル化した魂とリンクさせたビジネスなんだけど」と言ったら、先の女性は「死んだら死んだでいいじゃないですか、静に消え入るように」と、後の女性は「私はいいわ」と答えが返ってきた。

この二人の女性と話をしてはっきりわかったことは、僕の話にあまりいい印象は持たなかったが、いや「なんと馬鹿な」と呆れられたかもしれないが、どちらも”魂”の存在を認めていることだった。

ところで魂とはなんだろう?と思って、ヤフー辞書を引いてみた。

こん【魂】

1 こころ。精神。

・ 「詩は我―を動せども」〈鴎外訳・即興詩人〉

2 人の肉体に宿る精気。たましい。霊魂。特に陽のたましいをいう。「―は善所におもむけども、魄は、修羅道に残ってしばし苦しみを受くるなり」〈謡・朝長〉→魄(はく)


英語では?と思って和英辞書を引いてみたら、こんな感じだった。

こんたん【魂胆】
[例文]
・ 何か魂胆があって援助を申し出たらしい
He seems to have offered his aid 「for some hidden reason [from some ulterior motive].

・ 彼は借金を頼もうという魂胆で酒を1本ぶらさげてやって来た
He brought along a bottle of sake as part of a scheme to borrow money from me.


”魂”で和英辞書を引いたら”魂胆”として表記される。

「魂とはなんぞや?」という定義づけから、はじめてデジタル化が可能になるということか。

面白いといえば面白い。

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ネット上にこそ”神”が必要だと思ったことがある

10年ほど前、50歳になって初めてパソコンを手に入れ(買った)、1ヶ月ほど試行錯誤を繰り返しながら自分のホームページを立ち上げ、朝起きてから寝るまで(一日16時間ほど)パソコン&ネット三昧の生活を10ヶ月間ばかり続けたことがある。

その頃、すでにネット上は弱肉強食の無法地帯だったが、あちこちで溢れんばかりの善意のフロンティアスピリットが感じられた。

そして、パソコンをやりすぎて目が悪くなりマウスを握るほうの上半身が腱鞘炎状態になる頃には、ネット上の善意が悪意に変わり、ネット上からフロンティアスピリットがなくなって行きつつあった。

早い者勝ち、無知で騙された者がバカという世界が、当たり前として構築されていった。

その頃、ネット上にこそ”神”が必要だと思ったことがある。

だが、世界はその後の金融バブル崩壊まで、神も仏もないと突っ走っていく。

ある時期、WEB2.0が流行った頃だと思うがグーグルを神といったりする風潮があった。

今では、クラウドコンピューティングの概念が神の領域を窺おうとしているような気配だ。

途中、電通やデジタルハイウッドなどが画策したセカンドライフ現象もあったりしたが、当然のように神の領域に至ることはなかった。

ひろゆき氏が言う”ポジショントーク”だ。

今、クラウドコンピューティングで飯を食おうとする輩が、言葉巧みに”新たなる神”を作ろうとしている。

悪いことだといっているわけではない。

クラウドコンピューティングの概念が一般化することによって、これまでビジネス化できなかった事業が実行可能になることもあるからだ。

でも、ぼくが10年前に感じたネット上にこそ必要だと思った”神”は、グーグルやクラウドコンピューティングではなく、あるいはもっと進化したOSやプラットフォームでもない。

いうなれば、やおろずの神々を含む地球上の神々であり、それらを超えた宇宙の絶対神のような存在が必要だと思ったのである。

グーグルを手とし、クラウドコンピューティングを足として、あるいはもっと新しい戦士が出現したとしても、少なくとも僕が言う”神”はそれらを使いこなす立場にある存在だと思う。

データ量やエリア、シェアの拡大を競う価値観とはまったく違う次元に在る、と思う。

でも、デジタル技術の進歩なくしてこの”神”の存在はない。

少なくとも、普通の人々においては。

今、この”神”のことをネタにしたビジネスモデルを考えている。

カミさんと後輩のI君から、唖然とされたのか呆れられたのかはわからないが、この記事はそう意味で限りなくポジショントーク的である。

一杯飲みながら書いたからというわけではなく、これまでに人が言っていないことを書こうとしているから、自分が何かわからないことにチャレンジしようとしているから、思っていることの百分の一も書けてないが、疲れたので今夜のところはこのままアップしよう。

さて、明日はどうなっていることやら。







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2009年04月09日

野川緑地道のキクラゲ

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桜の花が散り行く野川緑地公園の道を考え事をしながら歩いていると、コナラと思われる一本の立ち枯れの木にキクラゲの群生を発見した。

根元のちょっと上辺りからてっぺん近くまで、小ぶりだが美味しそうなキクラゲがびっしりと張り付いていた。

雨が降ったら採りに行こう。


これくらいの大きさのものは、さっと茹でて、刻んだりせずに、そのままポン酢でいただくのが一番だ。

インスタントラーメンに入れても美味い。

この大きさのキクラゲは、コナラの木ならのものではないかと、経験的に思う。

おかげで、銭にならない思考はストップしたが、脳がリフレッシュ出来たかもしれない。
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ああ、大変な時代に突入しようとしている

ずいぶん昔、王道ではなく覇道で生きるなんてある女性に言ったもんだから、自業自得で、結構大変な日々を送ってきたと思う。

だから、節目節目でマッドスルー的な生き方を強いられてきたと思っている。

それで何度か危機を救われたことがあるとも思っている。

何人かの人から、マッドスルー的な生き方をするから危機的状況が起きるのだとたしなめられたこともある。

ありがたい言葉だった。

そういう意味では、ブレークスルーは日常的なことであった。

朝起きたときから、昼食を食べた後も、一杯飲みながらいつも突破することを考えていた。

そんな今日、マッドスルー的状況が数年にわたって続き、すべてがうまく行かないし、朝起きたときからとても疲れていた。

やるべき用もなく、かわいそうに(誰もそう思ってくれない)疲れ果ててしまい、満開の桜の木の下のベンチに座って一息入れていたら、沈思黙考状態になって精神が集中し、とびっきりのアイディアが突然頭の中に浮かんできた。

で、マッドスルーとブレークスルーの違い、あるいはヤフーとグーグルではどう違うのかを調べてみた。

なぜ調べたかというと、今を生き抜く上に置いてマッドスルーという言葉がきわめて重要で、ネット上ではどうなっているのかを知っておくべきだと思ったからだ。

そして、最初に調べたヤフー検索における検索結果件数が、たった12と想像とかけ離れた数字だったから驚いた。

ヤフー検索では
マッドスルー12件

グーグル検索では
マッドスルー32万9千件

すごい違いである。

で、よく使われるブレークスルーでも調べてみた。

ヤフー検索結果
ブレークスルー295万件

グーグル検索結果
ブレークスルー59万4千件

微妙な数字だ。

よくわからないが、そんな数字は問題ではない。

問題は、マッドスルーやブレークスルーという言葉自体を知らない人が多いことだ。

若い人でも。

あるいは、ネット上で飛び交うことごとが、言葉が、一部の層だけで使用され、利用されていることだと思う。

今日思いついたアイディアをカミさんに話したら、「唖然とした」とあきれたように言った。

説明しながら言ったのだが、使用する言葉のひとつひとつが日常生活からかけ離れていて、生活を共にするカミさんとの間でもまったく会話にならないのだった。

詳しくは書けないのだが、「マッドスルーによるイノベーションの結果、クラウドドコンピューティング元年にあたる今年、永遠に生きたい人々の願望を実現するソリューションビジネスのアイディアを思いついた」ということを、具体的に、ひとつひとつの言葉を丁寧に説明しながら話したが、まったく伝わらなかったのではないかと思っている。

「勝手にやったら」「好きなようにやるしかないよね」「止めてもやめない人だからね」ということだと思うが、これがカミさんだけではないからつらい。



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2009年04月08日

もしかしたら抜群のビジネスモデルになるかも?

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満開の桜が散り始め、地面が桜の花びらで覆われるようになった。

今日の午前中、写真の桜の木の下にあるベンチに腰をおろして、沈思黙考の境地に至ろうと努力していたら、突然、あるアイディアが思い浮かんできた。

永遠に生きたい願う人のためのソリューションビジネスのアイディアだ。

まだ思い付き段階だが、関連する様々な具体的なアイディアが次々と頭の中に浮かんでくる。

新しいビジネスモデルになる。

気持ちがワクワクしてくる。

早く誰かに話したいが、まだ駄目だという抑制する力も何時に増して強く、一日中テンパったような状態だった。
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2009年04月07日

沈思黙考は難しい。

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会議が多い会社は業績がよくないとか言われるけれど、僕はしょっちゅう会議をやっている。

それも、僕の場合はいつも一人会議で、ほとんど一日中会議をやっていることもある。

きっと、業績がよくないからである。

再上京する前に、何度となくカミさんと会議をしたことがある。

クルマで眺望がいいところに赴き、クルマの中で長時間に渡って会議をやった。

カミさんは嫌だったかもしれないが、僕はその時間が持てること自体が喜びであり、救いだった。

その時間が永遠に続いてもよかった。

会議ではなく、沈思黙考をしたいのだか、これは難しい。

自分を問い続けることだから。
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2009年04月06日

久しぶりのイマジカ、目黒川

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午後から久しぶりに五反田に行った。

満開の桜が咲く目黒川沿いを歩いて、イマジカのTさんに会った。
お願い事で二時間以上も時間を使わせてしまい申し訳ないと思うが、景気がよくない影響はイマジカにも及んでおり、預けている原版フィルムの扱いについての打ち合わせがメインになってしまった。
コンテンツ業界の様々な話も聞かせてもらったが、映画界も自分も憂慮できない状況になっているのは間違いないと思った。
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2009年04月05日

テレビって、結局ポジショントークじゃないの

どの記事かは覚えていないのだけど、つい最近、2チャンネルのひろゆき氏が梅田望夫氏について、「梅田さんて、結局ポジショントークでしょ」と言っていた記憶がある。

ポジショントークとは、株式・為替・金利先物市場において、買い持ちや売り持ちのポジションを保有している著名な市場関係者が、自分のポジションに有利な方向に相場が動くように、市場心理を揺さぶる発言をマスメディア・媒体などを通して行うことを指す。ウィキペディア


”ポジショントーク“という言葉を知らなかったわけではないが、ひろゆき氏のような身も蓋もない言い方で、あの『ウェブ進化論』の梅田氏を評されるとまさにその通りで、そのとき目からウロコが落ちたような気がした。

梅田氏にはこれまで教えられたことが多く大いに感謝しているのであるが、正直言って最近は刺激がない。

WEB2.0もコモディティ化して、次がない。

で、言いたいことは、今のテレビがポジショントークで成り立っているのではないかということである。

コマーシャルは勿論のこと、番組の多くが、特にニュース番組がそうなっているのではないかと、さっき『サキヨミ』という番組をチラッと見て思った。

テレビにジャーナリズムがないというというような嘆きをはるかに超えて、今のテレビはポジショントークそのものではないかと思った。

ただ、梅田氏が語るWEBの未来が未知な世界であるのに比べ、テレビの未来がなんとなく見えているだけに、耐え難い嫌悪感を感じてしまうのだが、これは僕だけの感想だろうか。

そして思うのは、いつもポジショントークとは無縁なところで仕事をしているひろゆき氏の存在感である。

ひろゆき氏には、かつての文学者などが帯びていた、なにものにも属さない”無頼”が見える。

映画は”無頼”でなくてはならないと思うが、今の映画界はポジショントークの人たちが肩で風を切っている。

そして自分はというと、ポジショントークをはるかに超えて、おもねりも露な、プロダクトプレースメントの企画などを考えている。



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移動一人会議

狛江市古民家園

今日の日曜日は沈思黙考の一日にするつもりだったが、天気がよかったので野川緑地公園、狛江市中央図書館、狛江市古民家園など自宅付近を散策しながら考えた。

思いついたことをノートに取りながら、移動一人会議のような雰囲気で、朝から夕方までウロウロしていた。

狛江市古民家園

午前中に考えがまとまった。

改めて開き直るということかもしれないが。

まあ、桜が満開の日曜日としてはこんなもんだろう。


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2009年04月04日

中島聡さんとデビットリンチにIプロデューサー

この数ヶ月間、ずーと考えてばかりいる。

いいアイディアが浮かばず、かといってちまちました動きも出来なくて、苦しくてもだえ続けていた。



Life is beautifulで読んだのだが、映画監督のデビットリンチが創作を釣りにたとえて、「深いところにいる何かをつかまえに行ってこそ大きなビジネスになる」と言ったそうだが本当にそうだと思う。




どんなに考えてもいいアイディアが浮かばず、膨大な無駄な時間を費やすことがある。

何の実も結ばないまま数ヶ月も過ぎることだってある。

今がそんなときだったが、今日の夜、さっき風呂に入っていたら突然あるアイディアが浮かんできた。

新しいアイディアではなく、若いIプロデューサーが数年前から僕にすすめていたアイディアで、一蹴してきたがずっと発酵させていたともいえる。

娘の友達のAちゃんが泊まりに来て、写真学校に通うAちゃんが写真家になりたいとという話を食事をしながら聞き、このアイディアが突然浮上したのだと思う。

一杯飲んでいるし、多少疲れてもいるし、今夜はこのブログに書き付けるだけにするが、明日の日曜日は、丸々このアイディアを反芻する時間にあてて、自分なりのビジネスモデルを構築しようと思っている。



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2009年04月03日

ワーキングプアが空き巣に入られて

知り合いの弟さんの部屋に空き巣が入ったらしい。

”知り合い“などという他人行儀な言葉はあまり使わないのだが、あえて知り合いと言っておく。

弟さんはワーキングプアというわけではないのだが、厳密に言えばそうかもしれないが、空き巣に部屋のガラスを割られて侵入され、最新鋭のノートパソコンなどを盗まれたという。

金持ちの家はセキュリティ機能が整備されていて空き巣が敬遠し、貧乏なところが狙われる傾向があるとの説もある。

本当か嘘かわからないけれど。

ずっと以前、T君が言っていた言葉が思い出された。

「金儲けのコツは貧乏人から巻き上げることだ。これはしっかり覚えておいたほうがいいよ」

知り合いは言った。

「これからは泥棒の企画ですよ。いろいろなワーキングプアが集まって痛快な泥棒をやるという物語です。どうですか?」

笑いながら聞いていたが、結構いける企画になるかもしれないなと思った。

かつてのヤクザ映画で、鶴さんや健さんが我慢に我慢を重ねて殴りこみに行って観客の喝采を得たが、僕らのような多少シニカルな観客も(もうすこし早く手を打ってあげたらよかったのになどと思いながらも)中毒性のあるドラマツルギーに引き入れられたことがある。

最近、『ドロップ』というやんちゃな(?)映画がクリーンヒットしているが、これから公開される青春暴力映画(?)『クローズZERO』の引き合いがすごいらしく、僕は観客が”暴力”という中毒を求めているのかもしれないと思った。

何かで読んだか見たか忘れたけれども、食べ物では”油”に中毒性があるとの記憶がある。

とんこつラーメンなんかはそれだけで中毒性があるが、うどんは”てんぷら”とか”かき揚げ”とか”ごぼう天”とか”油”を加えないと、どうしてもそれが食べたいという気にさせることが出来ず、”素うどん”ではラーメンに太刀打ちできないというようなことだったと思う。

豊かな飽食の時代には、おしゃれでさっぱりしたものが好まれるが、食えなくてひもじい時代には、脂っこくギトギトしたものが求められているのかもしれない。

メタボの胃袋に押されて、小さくなった脳の世界では・・・。





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新宿御苑の桜を見ながら

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新宿御苑の桜はまだ五分咲きぐらいに見えたが、平日というのに見物客で溢れていた。

天気がよく、暖かなので、H社のKさんと別れてから新宿駅まで歩くことにして、途中にある新宿御苑に寄ってみたのだ。

年に数度はこのコースを歩く。

苑内には入らず、隣接した休憩所のベンチに腰をおろしてタバコを吸いながら、考え事をしたり、ケータイで連絡をとったりする。

そんなときは、たいてい仕事になってないときである。
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狛江の桜が満開

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狛江の桜の花を観ながら考えた。

ずっと肌寒い日が続き、自宅近くのソメイヨシノがなかなか開かず、一昨日まで二分咲きか三分咲き状態だった。

で、今日チャリで喜多見まで買い物に出るとき、野川緑地道を通ったらもう満開に近い状態になっていた。

ただ、天気はよいのだが風が強くて桜見物という雰囲気ではなく、緑地道のベンチにも人の姿は見えなかった。

桜の季節と言えば高校野球。

と思うくらい、これまでは高校野球をテレビ観戦してきた。

今日で選抜高校野球が終わったらしいが、一度も試合を観てなくて、ネットのニュースで「やってるみたいだな」と思いながら、観客の入りや視聴率の数字が気になっていた。

これまで成功してきたビジネスモデルが危うくなっている今、凋落の一途をたどるプロ野球のジャイアンツ戦のように、少子化と相まって高校野球自体がパワーダウンしているのではないかと思っていた。

高校野球もニッポンの盛衰と無縁ではない。

子供の数がどんどん増え、それを受け入れるための新しい高校が全国各地に続々と誕生し、エネルギー溢れる群雄割拠時代の成功モデルが高校野球だからだ。

桜の花の時期は短くてその盛衰は誰にでもわかりやすく、散りゆくときには、もののあわれを広く共有させる説得力があるが、人がつくって人が絡んでいるものは、恨みがましいところがあり簡単に散ろうとはしない。

執着だ。

お金に執着する人は、棺桶の中までお金を持って行こうとする。

自分だけの執着は捨てたつもりだが、自分に関わるごとごとに執着があり、これとの対峙が延々と続いている。

これが、この20年間いまだに解決できない問題であり、目下の最大の難問なのである。

経済的には難問でも、宗教的には簡単極まりないことだと言えるのだが、現実はそれらが入り交じっていて潔さとは対極にある。

桜の花に限らず、自然には正解が溢れていて、どうしても引かれてしまう。
posted by 映画プロデューサー at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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