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2006年08月31日

新しいカテゴリ「テレビ×Web2.0=テレビ2.0」をつくる

正直に言うと、今日はじめて「テレビ2.0」という言葉を知った。

ネット上で他のことを調べていて、ひょんなことからニッケイネットという経済サイトで知った。

最初は、「テレビ20」かと思った。

第6回「"テレビ2.0"を展望する」(2006/08/11)

新保 豊氏:日本総合研究所 研究事業本部 理事・主席研究員(通信メディア・ハイテク戦略ク ラスター長)の記事で、第7回「通信・放送の融合の切り札!?〜"テレビ2.0"の衝撃」(2006/08/30)と続いていた。

梅田望夫氏の『Web進化論』によって「Web2.0」は広く知られるようになり、この言葉によって自分の考え方が整理しやすくなったが、「テレビ2.0」という言葉は、本来の僕の仕事の進め方においてより役に立つであろうと確信した。

で、早速カテゴリをつくったというわけで、実に腰が軽い。

ヤフーで「テレビ2.0」と検索すると、一番上にパブリック・ジャーナリスト神田敏晶さん(『Web2.0でビジネスが変わる』の著者でもある)の記事が掲載されていた。

「テレビ×Web2.0=テレビ2.0」


少しだけ、ワクワクしている。
タグ:TV
posted by 映画プロデューサー at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ×Web2.0=テレビ2.0

2006年08月30日

明日発売の週刊新潮が「楽天三木谷社長のXデー」を特集

今日、楽天の株がストップ安だったという。

ヤフートピックスは『楽天証券が自社の不利益になるウィキペディアの記事を削除』と報じ、その記事にはアクセスが集中してしばらくの間ページが開けなかった。

明日発売の週刊新潮は「水面下で捜査が進む 楽天三木谷社長のXデー」を特集するというし、僕のライブドアの記事は「はてな」のトップページに注目のエントリーとして掲載されているし、今夜もなかなか気が抜けない夜になりそうだ。

週刊新潮(8月31日号)
posted by 映画プロデューサー at 21:16| Comment(0) | TrackBack(1) | ネット上から

東宝撮影所

P506iC0022086213.jpg久しぶりの撮影所で、知り合いがいるかもしれないなと思っていたが、撮影をしている組が少なく、誰にも会わなかった。
posted by 映画プロデューサー at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記

東宝撮影所に行く

今日は午後から成城学園にある東宝撮影所に行く。

映画の仕事でこの撮影所を使ったことはないが、以前は仕事がらみでよく行ったことがある。

今日は待ち合わせまでに時間があったので、渋谷からバスに乗った。

バスに乗ってわかったことは、信号で停まるといちいちエンジンを切ることだった。

そして、信号、バス停とよく停まり、時間までに到着するのか心配になる。

ただ、道路は割合空いているようだ。

車内はお年よリが多く、健康に関する広告が目につく。

バスは順調に走っている。
posted by 映画プロデューサー at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記

楽天疑惑の記事から

ヤフーに関係する、楽天の「アフィリエイトの件の疑惑」に驚いている

そして今、インターネットの凄さを久しぶりに感じている。

もうそろそろ寝ようかと思って、ライブドアのブログのアクセス解析を見たら急にアクセス数が増えていた。

「どうしてだろう」と思ってリファラを見たら、ほんの数十分の間にこのアドレスがトップに来ていた。

そのアドレスをクリックすると、ヤフー掲示板に関係すると思われるこのページに変わった。

そこには、次のようにあった。


http://jinsei.livedoor.biz/archives/413990.htmlアフィリエイトの件の疑惑


そして、そのアドレスをクリックすると、

「楽天トリックの疑惑について」という、僕が2月に書いた記事が出てきた。

そこで「ふっと気になり」、さっき書いた楽天の「悪魔の趣味 それは釣り」に飛ぶと、アクセス数は全く変動がなかった。

楽天の場合、携帯電話からでも投稿すると数十のアクセス数があるのが普通だが、完全にストップしている状態にあった。

一体何が起きているのか今はわからない。

ただ、楽天にある僕のブログに「楽天のブログに不満はありませんか?」と書いたら、楽天のアクセスはストップし、ライブドアのブログに跳ね返っているということがわかっているだけで、何がなにやらさっぱりわからない。

他の、ニフティやシーサのページには全く影響がない。

ここまで書いて、楽天の僕のブログに戻ってアクセスを見たら、止められたようにさっきからピクリとも動いてない。

そして、ライブドアのブログはどんどんアクセス数が増えつづけている。

急なことで余裕がないが、この記事は決着がつくまで追いつづけざるをえない、とだけはいえる。

今夜になるか、夜が明けてからになるかはわからないが・・・。
posted by 映画プロデューサー at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記

2006年08月29日

絶対的な権威があったヤフーカテゴリは今?

今日、僕のホームページがヤフーカテゴリで7年ぶりに変更登録された。

旧カテゴリは『トップ>地域情報>都道府県>福岡>エンターテインメント>映画・ビデオ>クラブ』だった。

新カテゴリは『トップ>エンターテインメント>映画>映画制作>プロデューサー』で、本人は悲願達成(大袈裟)で喜んでいる。

ところで、1999年ごろホームページを立ち上げた者(法人でも)にとって、ヤフーカテゴリはサーチエンジンとして絶対的な権威があったが、今はどのような位置づけなんだろう。

2000年になったころ、何がしかのお金を払わないともうヤフーカテゴリには登録できないなどという噂を聞いたことがあるけど、それは本当だったのかしら?

2002年ごろ、一度ヤフーにカテゴリの変更を申請したが、受け入れてもらえなかったこともある。

そのこともあったが、グーグルの台頭などでカテゴリからキーワード検索へとサーチエンジンがシフトした現状を踏まえて、ホームページをリニューアルすると同時に登録変更申請をしたら、まんまと成功したというわけなのだ。

また、ヤフーカテゴリにはブログは登録されにくいという情報を信じて、いくつかのブログの登録申請さえしていないが、本当のところはどうなんだろう。

それにしても、映画プロデューサーの登録サイトは少ない。

僕の記憶では1999年当時3件だったが、それから丸7年が経過して僕を入れて5件しかない。
posted by 映画プロデューサー at 20:26| Comment(0) | TrackBack(1) | ネット上から

映画興行会社は「作品の質」を要求するけれど

久しぶりに映画興行会社のNさんと話をした。

映画興行会社とは映画館を経営する会社のことで、Nさんの会社は都内にいくつかの映画館を抱え、東京近郊にシネコンも持っている。

Nさんとは20数年の付き合いで、会えば映画について話すことになるが、いつも「作品の質」論で意見が衝突する。

映画が製作者(製作プロダクション)によってつくられ、配給会社によって興行に乗せられるのが一般的だが、配給会社抜きで興行と製作の人間が対峙した時に、当然起こりえる衝突といえる。

映画興行会社はいつも「作品の質」を要求する。

あるいは「お客が来る作品」を要求する。

「お客が来る作品」を提供しても、なお「作品の質」を要求する。

多少Nさんと僕の関係だからかともいえるが、一般のお客さんと常に応対する映画興行者としては当然といえば当然のことでもある。

「でも」と、いいたくなる。

ずっと前から、現在も、製作の現場は「作品の質」を求めているのであって、ただ、あまりにもそれを保証する環境が整っていないのである。

いや、無いといってもいいくらいなのだ。

今回は、「YouTube」など動画共有サイトが登場してきたことでいよいよ「作品の質」が問われることになる、と僕が発言したことからの衝突だった。

ちなみに、Nさんのところの映画館はどこも盛況だというが、同席していたKさんにいわせると、製作費の半分も回収できていない映画ばかりだとのことだった。

もちろん客がこない映画をかけた映画館が業績が悪いのは当然だが、今日の話を総合すると、映画興行はまあまあ、配給はシネコンに振り回されてキュウキュウ、製作は相変わらず食うや食わずの生活ということか。

食うや食わずの生活を強いられながら、ないものねだりのように「作品の質」を求められているというのが作り手側の真相で、若さゆえの犠牲的精神によって興行が成り立っているということをもっと知ってもらいたいと思うのだが、所詮無理な話だと今日も思った。
posted by 映画プロデューサー at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 働く現場から

映画評論家・大高宏雄氏と角川映画元社長・角川春樹氏は?

映画評論家・大高宏雄氏と角川書店・角川映画の元社長である角川春樹氏に関する記事をこの1日2日で書いたが、僕の予想に反して角川氏より大高氏の記事に対する反応の方が圧倒的に高かった。

さしたる情報の詳細も調べずにいうと、大高氏のほうが旬といえる。

元社長などより、あるいはプロデューサーというより、映画評論家というキーワードのほうが強いのかもしれない。

それはそれでいのだが、日本の大映画プロデューサーともいえる角川春樹氏の仕事の本質を、マスコミも、インターネットも伝えきっていないのではないかと思った。


ここまで書いて、疲れてしまったので続きは明日書きます。

インターネットは時々予想もしない結果を出す。

いや、その結果のほうが正しいのかもしれない。

小説家よりも、IT最先端にいる書き手たちのほうが、人々を救っているのではないかと思う。

ましてや、新聞記者やテレビなどで碌を食むジャーナリストあたりが・・・である。
posted by 映画プロデューサー at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言

2006年08月28日

角川春樹氏のインタビュー記事から細木数子さんを思い浮かべた

元角川書店社長・角川春樹氏が刑務所から出所して、昨年、映画『男たちの大和/YAMATO』を製作して大ヒットさせ、プロデューサーとして鮮やかに映画界復帰をはたした。

角川氏とは直接面識はないが、間接的には多少かかわりがあったこともあり、角川氏に関するいくつかのエピソードも聞き及び、相当神がかった人であることは承知していた。

だが、神がかったエピソードは角川氏にごく近い人たちの間で密かに囁かれることであり、大ぴらに表に出ることはなく、カリスマを彩る噂話の域を出るものではなかったと思う。

その角川氏の神がかったところが大ぴらになっていると思われる、日経ビジネスエキスプレスのインタビュー記事があったので一部(本当は全文を紹介したい)を紹介しておきます。

それでも、多少長文ですが、実に面白いと思う。


――刑務所に入った経験は、ご自身にとっては良かったんですか。

角川 良かった。私にとって、個人的にはね。12年間の法廷闘争ですべてを失ってしまう、お金もね。そして、戻ってきて、さてこれからが勝負だと。それで、大和のクランクアップ会見で「21世紀は角川春樹の時代だと思う」と言ったんです。

 あの発言を聞いた人は、単に大和のことだと思っているんだろうね。私の本当の戦略をまだ分かってない。

――1つの映画のことだけを指しているわけではない。

角川 だって大和だけが成功したって、私の時代にはなりませんよ。

 私は病気を治したり、いろんなことができるんだよね。それを使って、宗教を必要としない時代に持っていこうとしている。人間は幸せになったり、仕事がうまくいったり、病気が治れば宗教は必要ないではないかと。私自身は刑務所でもっと先のレベルに行ったんだよ。

――どういうことですか。

角川 生き方として生涯不良と言い出したんですよ。人間は何のために生まれてきたかという根本的なことが宗教も哲学も分かっていない。人間は楽しむために生まれてきた。これしかない。それを私は刑務所の中で分かったからね。

――病気を治すこと以外に、どんなことができるのですか。

角川 この間までは、日本の地震を止めることに命を懸けていた。それで止めたんだよ。

▼地震、台風、日本文化のためなら命も捨てる

――いつ?

角川 昨年の7月7日です。止めるだけの能力を持っているからね。だからサイバー戦争になった時に、最も大きな力を発揮するのは私だろうね。荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、一つひとつ実績がある。この前の台風も東京を直撃するというので、迂回させたんだ。それで静岡を通って千葉に抜けた。

――地震を止めるというのは、どういう作業になるんですか。

角川 私の独特のやり方なんだ。45分ぐらいかかったかな。この時は、やれば自分が死ぬということを覚悟のうえでやった。

――相当のエネルギーを使うという意味ですか。

角川 そうじゃなくて、自分の命が取られるだろうと思った。人の能力で自然現象を止めちゃうんだよ。前もってこれから起きることを変えるわけだから、歴史の改造と同じなんだよ。俺は、日本文化のためだったら命を捨てても構わないんだ。



僕はこれを読んで、角川春樹氏は細木数子さんより数段面白いと思ったが、お二人に共通性があるとも思った。

お茶の間でテレビに興じる普通の人たちが味わったことのない経験の持ち主で、それが決して笑わない目に表れており、時折見せるチャーミングな笑顔がお二人に共通していると。
posted by 映画プロデューサー at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言

映画評論家の大高宏雄氏がキネマ旬報で書いているが

図体の大きい映画は、生き残るための無理心中を図っているのかもしれない。

今朝のテレビ朝日『サンデープロジェクト』を見て、自分のホームページに「テレビは熟れすぎて、すでに腐臭を放っており、そのうち溶解し始める」というようなことを書いたが、キネマ旬報9月上旬号で映画評論家の大高宏雄氏の記事を読んでその思いを強くした。

テレビが爛熟していて、実はもうすっぱくなり始めているのだが、その内外で甘い汁を舐めている人たちは完全に取り込まれていて、その人たちも含めてテレビは溶解し始めているといえるのかもしれない。

大高宏雄氏の「ファイトシネクラブ 日本映画の時代が来たのか(4)」記事より

@テレビ局主導の映画製作の活況は、明らかに日本映画への追い風だA単館作品にも、異色のヒット作が生まれており、中味も安定感があるBただ娯楽大作に内容空疎なものがある、これはなんとかしなくてはいけない


「日本映画の時代が来たのか」を@からCまで読むとわかるが、テレビ局主導の映画=娯楽大作であり、これは映画評論家の大高氏がどうこうできる話ではない。

「異色のヒット作」とか「中味も安定感がある」とかも曖昧な表現で、日本映画を愛する大高氏の苦しい立場がよくわかるが、「テレビをつくるように作った映画」を今更映画評論化が言及してどうなるのだといいたい。

後半に、テレビ局主導映画(製作プロは局と関係が深いテレビ制作会社)によって独立プロの存在が希薄になり、独立プロはとことん袋小路に追い込まれていると指摘しているが、こんな状況で日本映画の時代が来たりするわけがないではないか。

ここで、日本映画のことを云々するつもりはない。

映画評論家の出る幕がなくなっているのに、旧態依然の取り組み方で映画を論じようとしていることに大高さんが気付いていないことも歯がゆいが、批評を必要としないテレビ局が、映画の周辺で碌を食む人たちをも取り込みながら溶解し始めているということに関心がある。

「放送と通信の融合」という言葉は、「テレビが消滅する」とか「巨大メディアが崩壊」ではしっくりこなかったが、「テレビが爛熟して、やがて腐臭を放つようになり、そのうち溶解し始める」というイメージではよく理解できる。

テレビは腐り始めている。

もしかしたら、映画は自らが保有している重さを無意識にテレビに預けながら無理心中を図り、「YOUTube」などの玉石混交の動画コンテンツ共有サイトと連携して、映画としての質の回復をはかろうとしているのかもしれない、と密かに想像している。

断じて、「テレビのような映画」は日本映画ではない。
posted by 映画プロデューサー at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 働く現場から

2006年08月27日

渋谷紀伊国屋のIT関連の書籍コーナーがなくなっていた

五反田図書館から目黒不動の方を歩きながら考えていると、ふと第2次ITバブル崩壊がまもなくはじまるのではないかという気がしてきた。

いや、もう始まっているのかもしれない。

昨日、渋谷の紀伊国屋書店に行ったら、IT関連の書籍コーナーがなくなっていた。

今年はじめに出版された『Web進化論』(梅田望夫著)が、普段ITに関心のなかった知識層まで取り込み、『Web2.0』とか『ロングテール』などを一般のマスコミも扱った。

だが、もう普通になっている。

すでに、『YOU tube』など動画共有サイトがゾクゾクと登場したが、それももう日常的な普通のことになっている。

そして、ブログはおろかWeb1.0すらよく知らない人にとっては関係すらないことで、ごく一部の層のフィーバーだったのでないかと思えてしょうがない。

もう人々は、コンテンツの質にしか関心がなくなっている。
posted by 映画プロデューサー at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

2006年08月26日

日本映画界には5社(東宝・松竹・東映・大映・日活)協定という縛りがあった

テレビ局を中心とした芸能界に、テレビ局の”行政指導”にはじまり今ではテレビ局をも行政指導する”行政という力”があると前に書いたが、古くは日本映画界には5社協定というものがあった。

5社協定とは、東宝・松竹・東映・大映・日活の大手映画製作会社が裏で結んでいた協定のことである。

5社は製作のほかに配給も興行も手がけていて、全国津々浦々に張り巡らした映画館に自社で製作した映画を供給(ブロックブッキングというシステム)し続け、テレビが登場してもしばらくは日本の芸能界の中心存在だった。

5社はそれぞれスター俳優(東宝:三船敏郎・加山雄三・星由里子 松竹:渥美清 東映:高倉健・萬屋錦之介 大映:勝新太郎・市川雷三 日活:石原裕次郎・小林明)を抱えており、5社協定は主にそのスター俳優たちを縛る協定だったといわれ
ている。

もちろん監督やほかのスタッフたちもその協定下にあったといえる。


東映の岡田茂相談役が、日経エクスプレスのインタビューの中で下記のような発言をしている。


我が社のトップスターの(中村)錦之助もそうだった。ある時、彼が僕に独立したいと言ってきた。僕は「独立は認めるけれど、うちのオーナーの大川(博)さんとは喧嘩してくれるなよ」と言いましたよ。

 それから何日かたって、大川さんに呼ばれた。大川さんは「独立なんかとんでもない。5社協定というのがあるから、秘密裏に彼らをいじめようじゃないか」と言うんだ。5社協定の内容はよく知られていなかった。みんな隠していたからね。各社の社長しか知らなかった。ただ、命令は下るようにしてあるのよ。どこか1社がある役者を使わないと決めたら、全社が足並みを合わせる。無言のうちにそうなるように決めてあったからね。


岡田茂氏は、「5社協定は、各社の社長しか知らなかった」と言っているが、当時は、衆知のことで子供ですら知っていることだった。

権力が大きくなれば個人を虫けらのように扱ってしまうこともあるが、問題は権力を持ったものたちが裏で取引をして、個人の自由を損なうアンフェアな体質である。

また、このアンフェアな体質はわが国のさまざまなところに見受けられることだが、芸能界という一種限られた世界では、増幅されているといったら言いすぎだろうか。

巨大メディアとなったテレビ局の”行政指導”が、増幅されてより肥大化して行って”行政”になり、見えざる力で視聴者の利益を損なっているのではないかと思う。
posted by 映画プロデューサー at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言

テレビ局を中心とした芸能界の「行政の力」とは?

テレビ局を中心とした芸能界には「行政」というものが存在するという。

よく、芸能マネージャーたちが「行政の力が働いた」というような言い方をする。

漢字で書かれた資料というものがないから、「ぎょうせい」とひらがなで表記していた方が適当かもしれない。

芸能界の「見えざる力」である。

ネットで検索してもこれといった記事は皆無に近く、テレビ局を中心とした芸能界のいわゆる「隠語」だと思われる。

僕が知っている限りでは、30年前にも20年前にもなかった言葉で、自分なりに推測できるが、いつから「行政」という言葉が使われるようになったかはよく分からない。

そこで、日経ビジネスエキスプレスの最近のインタビュー「マネージャーがブログの代筆をしたって、すぐバレれる」で、ホリプロの堀威夫氏が”行政指導”という言葉を使われているので紹介する。

――桜田淳子は他のプロダクションに持っていかれましたね。

堀 もともと「ホリプロ3人娘」を作ろうと思っていたんですよ。森昌子を当てたので、この商品を基に数を増やしたいと思ってね。デビュー前の石川さゆりを抱えていたから、あと1人の候補として桜田淳子に手を挙げたんだけど…

――結果的には失敗した。

堀 テレビ局が、あまりホリプロばかりに偏ってはいけないと“行政指導”したらしいんだな。それで、何が何でももう1人ということで百恵を採り、「ホリプロ3人娘」を発表しました。ただ、この「ホリプロ3人娘」は「中3トリオ」の人気に押されて自然消滅しちゃった。


ここで使用されている゛行政指導゛という言葉と関係があるかもしれない。

ただ、僕が聞き知っている「行政の力」とは、テレビ局をも゛行政指導゛してしまうような存在で、テレビ芸能界が牧歌的だった時代の力関係では説明のつかないものだ。

かつて、M・Kという新人女優を映画デビューさせたとき、僕は彼女のマネージャーであり事務所の社長と次のような会話を交わしたことがある。


F「タレントが売れる理由は何だと思いますか?」
生意気に試しているなと思ったが、一応さしさわりのないように答えた。
僕「それは、まず才能でしょう。もちろん、事務所のマネージメントの力もあるけど」
F「出れなくしたら、どうなります?」
僕「・・・え?」
F「その新人を出れなくしたらですよ」

当時から、芸能界にはそんな力が働いていた。

でも、「行政」とは呼ばなかった。

インターネットが発達して相対的にテレビの存在価値は低くなっていくと思われるが、我々の日常生活の中で巨大メディアであるテレビが占める役割は依然として大きく、30年以上も前の゛テレビ局の行政指導゛が時とともに成長していまやテレビ局を゛行政指導゛する「行政」へと変化を遂げ、その「行政」が結果的に視聴者の利益を損なっているとするならば大きな問題だといわざるをえない。

もっと、「行政」のことを調べないといけないと思っている。
posted by 映画プロデューサー at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞かれちゃいけない独り言

2006年08月25日

福岡市西区にある愛宕神社からの携帯写真

PIC_0007.JPG

この日は天気のよい、何ということがない福岡市の愛宕神社からの光景だが、10年以上前に東京から戻ってここにきたときは見事な夕景だった。

福岡タワーの向こうを低空飛行で福岡空港に着陸しようとするジャンボ飛行機が見えて、いつか「福岡・釜山・上海」を結んだギャング映画を作りたいなと思ったことがある。

ギャング映画ではないが、昨年、ここからその夕景を撮る予定だったのだが・・・。

まだ、チャンスはあるだろうと思うことにする。
posted by 映画プロデューサー at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記

2006年08月24日

「墓地内無断埋葬禁止 墓地管理人」

偶然見つけた石碑。

石碑には「墓地内無断埋葬禁止 墓地管理人」と刻んである。

あるとき、東京のA新聞社の記者とカメラマンを案内したことがあり、僕はここに生まれた者として、連れて行ってはいけないところに案内したのではないかと感じた。

記者も、カメラマンも深く首をたれただけだった。

今日、初めて僕はこの石碑を公開した。

PIC_0009.JPG
posted by 映画プロデューサー at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

映画と本のバナーをメインページのトップに持ってきた

年がいがないといえばそれまでだが、自分で作った映画と本のバナーをトップページに並べることが出来た。

ホームページビルダーを利用して何とかやっている。

いつものように、よろしかったら覗いてやってください。
posted by 映画プロデューサー at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記

2006年08月23日

40年前のUFO(未確認飛行物体)

明け方までしのつく雨が降り続いていた。

僕とMが家を出るときには雨が上がっていて、自転車で遠賀川に架かる川島橋を渡るころには秋の空は真っ青に晴れ渡っていた。

特別深い理由はなかったが、毎朝、ほんの少し遅刻して登校するのが僕らの日課だった。

真新しい帽子をやすりでこすったり、マーガリンを塗って汚したり、カギ型に破ってミシンの縫い目をつけたりするのと同じような、あるいは毎日吹き出る不快なにきびのような、田舎の高校生の他愛ない自己主張のひとつだった。

先生に何かいわれたら、頭を下げて「すいません」の一言ですむような、それでいて毎朝のことだから、双方に一触即発で爆発するような苛立ちを含んでいた。

日常が日常でそのまま続いていたら、どこかで思わぬ爆発が起きて田舎の人たちを震撼させるような事態が発生することもあったかもしれないが、青空を水澄ましのように飛行する銀色の飛行物体が、僕とMを危険レベルに達しそうな退屈から開放してしまった。

銀色に輝く物体は、僕らの頭上で幾何学模様を描いて飛行し、停止し、そして青空に突き刺さるように吸い込まれていった。
posted by 映画プロデューサー at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類

Web1.0のほうがWeb2.0よりお金になるのではないか?

ブログはホームページに比べてずっと便利だと思う。

ブログをはじめて、もうホームページなんかやめたほうがいいのではないかと思ったこともある。

でも、ホームページがWeb1.0の残骸なんかではないことが分かった。

この数日、1999年夏に立ち上げた自分のホームページをリニューアルしていて、ホームページのほうがブログより優れているのではないかと思うことが多々あった。

まず、一覧性がないといわれるインターネットだが、その点ではホームページのほうがブログより遥かに一覧性があるように作ることが出来る。

記事のボリュームが増えてくると、ブログで以前の記事を探し出すのに時間を取られるが、整理をしていればホームページの方が格段に早くその記事にいたることが出来るし、一覧性があるから自由に横にも移動できる。

横にも移動できるとは多少説明しにくいが、Web1.0を代表するのが一方的に情報発信するホームページで、Web2.0を代表するのがトラックバック機能を備えたブログであるという前提で説明すると、囲い込みを主に置くホームページのほうが双方向性を備えたブログより伝達する方法論が多いということだと思う。

簡単に言うと、ブログは宣伝・販促媒体としてはホームページより優れているが、アーカイプにおいて優位性があるホームページのほうが説得性があり、遥かに実売に結びつくメディアではないか。

経験的に言うと、更新を続けてアクセス数が多いいくつものブログよりも、今日リニューアルしたつたないデザインのホームページのほうが売上が大きいという事実があり、それは囲い込みの中でユーザーが自由に横に動けるからではないか。

まだ、上手く説明できていないかもしれない。

要は、ブログとホームページは両立できるということであり、いわゆる総合的なプラットフォームを構築することの出来ない個人としては、両方を上手に組み合わせて小さなプラットフォームのようなものを形成していくのがベターだということで、手間隙をくうホームページをリニューアルしてよかったというお話でした。
posted by 映画プロデューサー at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Web進化論

2006年08月21日

すでに廃墟と化しているインターネット上の世界

検索をかけて必要な情報があるページを探すとき、たいていの場合、僕もほかの人と同じように上位2・30番目ぐらいまでしか見ない。

今日は必要があって、相当深いところまでもぐりこんで、目的のページを探した。

探しながら、ネットサーフィンみたいになって、ネット上におびただしいスラムや廃墟を見てしまった。

元アイドルのサイトは見た目には整然としてるように見えるが、ある日からまったく更新されておらず、今日も明日もその後もスケジュールは「特になし」が表示されるだけで、誰も存在しないデパートのようにわびしい。

その子を直接知ってるからかもしれないが・・・。
posted by 映画プロデューサー at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット上から

2006年08月20日

映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』のホームページを仮リニューアルした

数日前に、このブログのトップに映画『スーパー・ハイスクール・ギャング』のホームページを貼り付けたので、昨日からあわててリニューアルをした。

デザインにこらず(こると時間がかかるから)ハイピッチでページをいじり、さっき仮にリニューアルをしたがなんとなく物足りない。

シンプルすぎる。

ただ、7年ほど前のダイヤル回線時代に作ったホームページだから、掲載している写真が小さかったのが、それを大きくすることが出来たので、とりあえずはよかったのではないかとも思う。

よかったら、見てやってください。

それにしても、パソコンになれたので作業は早くなっているものの、デザイン力に成長の後は感じられず、10年以上も前に作った映画を全国上映しようとして、まるで若者のように朝から夜中までマウスやキーボードをせわしなく動かし続ける自分にあきれてしまった。

一種の狂気だと思う。

ただこの年になっても、たっぷりインターネットに浸っているから、Web1.0とWeb2.0の世界の違いは日常的に理解できる。

いくつものアイディアもある。

だが、プラットフォームを構築するための技術も人材もなく、アイディアも日に日に古くなる。

金もないが、それは何とかなると思っている。

行動力かもしれない。

一人でパソコンに向かっているほうが気楽である。

お盆も終わったことだし、明日からは30代に戻って、企画書を抱えて精力的に動こう。
posted by 映画プロデューサー at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記