2009年11月11日

「みんな映画で失敗しているよ」と出版社社長のY氏

降りしきる雨の中、二人のプロデューサーと一緒に脚本家のT氏と会うために、車で山梨県笛吹市に向かった。

中央高速に乗ると1時間ちょっとだが、僕にとっては久しぶりの遠出だった。

仕事のついでに秋の紅葉を見物しようという魂胆は雨で半減したが、なかなか映画の仕事(準備以前の段階)らしい行動様式(自分らしい)で、気分はまずまず、いや多少はしゃいだような上々の気分だった。

笛吹市に到着して、果樹園に囲まれたT氏のご自宅で5時間近く、石和温泉にあるレストランでご馳走になりながら2時間という、長時間の面談および打ち合わせをすることが出来た。

途中、ケータイに出版社社長のY氏から電話があった。

もう2週間以上前に、「時間があるときに連絡をください」と留守電に伝言していたことへの返事の連絡だった。

「ちっとも、電話よこしてこないなあ。体の具合でも悪いのかなあ」なんて思いながら、実はもう忘れていた矢先の電話だった。

来週にアポをとったが、そのときに「映画の話、うん、いいよ。でも、みんな映画で失敗しているよ」と電話の向こうで経営者らしい言い方で言ってきたから、「そう、みんな失敗ばかりしているので、よ〜く当て方がわかったんですよ。会ったときに話すから」なんて軽〜い感じで応対することが出来た。

こんなときは仕事がうまく進む。

きっと山梨の果樹園に囲まれた場所で仕事をしていたからだと思う。

新宿の喫煙席がある安い喫茶店で、険しい顔つきでタバコを吸いながらの打ち合わせでは、軽〜い感じの会話にはならない。

「今からでも、すぐそっちに行くよ」なんて気持ちが優先する。


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電通・博報堂、大幅減収減益、いい気味だなんて思えない

大手のことは実感としてよくわからないが、売上高が前年比17%とか14%というのは結構以上に大変なことなのではないかと推察する。

だって、17%減の電通なんかは1000億円以上のお金が入ってこないのだから。


電通と博報堂、大幅減収減益 ネット広告が初の前年割れ

広告大手の電通と博報堂DYホールディングスの09年9月中間連結決算は、大幅な減収減益になった。自動車や情報通信などの大手企業がテレビや新聞などの広告費を大きく絞りこんだことが響いた。右肩上がりで伸びていたネット広告も初めて前年を割り込んだ。

 10日に発表した。電通は売上高が前年同期比17.2%減の7858億円、本業のもうけを示す営業利益は61.6%減の68億円、純利益は12%減の71億円だった。ネット広告も6%減った。

 博報堂DYは売上高が14%減の4424億円、営業利益は98.5%減の6千万円、純損益は16億円の赤字(前年同期は22億円の黒字)。ネット広告も実質で3.9%減った。沢田邦彦専務は「ネット広告も含めて、自動車の絞り込みが強かった」と話した。

 また、博報堂DYは障害者団体向けの郵便割引制度を悪用した事件に関し、正規の郵便料金との差額として郵便事業会社に支払った解決金約6億8千万円を、特別損失として計上した。


でも、それでもまだ利益が出ているのだから感心すると共にあきれる。

そして、こんな数字が来年も再来年も続くようだと、手の打ちようがなくなるのではないかと思う。

この傾向は再々来年まで、いやもっと先まで僕は続くと思っている。

ネット広告だって6%減なのだから、完全に、お先真っ暗になったと言って差し支えないだろう。

すでに、末端は壊死状態に陥っている。

末端から見ると、「やっと」壊死の転移が中枢に及んできたなということでしかない。

知らん振りをしていても、末端の壊死はガンのように転移するに違いないのだから。

ほこりを手で払うようにはいかない。

しつっこく、まとわりついてくるだろう。

正直、いい気味だなんてとても思えない。




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2009年11月10日

日記と創作ノート、そしてブログ

僕は子供の頃から日記を書くのが好きだった。

小遣い帳をつけるのもほんの一時こったことがあるが、子供だから小遣い自体が少なく、一日に一行あるかないかなのですぐに飽きてしまい、ほんの数日でやめてしまった。

日記は高校生の頃から断続的に書いてきた。

長期のサイクリング旅行したときなどは学級ノートに書いて公開した。

旅先でマスターベーションしているのを見つかったことなどを面白おかしく書いたので、女子生徒に大いに受けたこともあった。

その学級ノートが他のクラスの女子生徒に回って、回し読みされ、その何人かから交際の申し込みがあったほどだった。

味をしめたわけではないが、以来、学生時代はずっと断続的に日記を書きつづけ、大学ノートで20冊ほどが手元に残っている。

やはり高校生の頃、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで圧倒的な面白さに感動し、ドストエフスキー全集で他の作品をすべて読んでいるときに、創作ノートなるものがあることを知った。

これがまた面白かった。

そんな経験があったからだと思うが、インターネットの日記はもう10年以上書き続けているし、このブログも書き始めてから4・5年は経つ。

以前、種田山頭火のシナリオを書いたとき、彼の日記をすべて読んだことがある。

日記でありながら創作ノートの趣があり面白かったが、それに加えておびただしい量の書簡もあって、それらすべてをひっくるめて山頭火を見るとよりその魅力が伝わってくるのだった。

ブログの機能を利用すると、公開や非公開などを含めて、とてつもない面白いことが出来るかなと思い、この記事を書いている次第。

ただし、自分の死後のことまでを想定した自分だけのプロジェクトになり、現世での利益を得ることはまず難しいとも思う。

思いつきで書いたのでいつものようにまとまりがない記事だが、案外、きわめて現代的なテーマを秘めているかもしれない。

ここまで書いてきて、もしかしたらあわせ技で、新しいビジネスモデルを提案できる可能性だってあるかもしれない、なんて思った。



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映画”僕シリーズ”、量が質を生めばいいと思う

僕は映画に関して言うと、基本的に「量は質を生まない」と思っているし、これまでに何度もそう書いてきた。

それは、「量が質を生む」と発言するプロデューサーが身の程知らずで、ただ傲慢だけのつまらない人間だからだといってもよい。

本音を言えば「量が質を生んでほしい」と思っている。

さっき、こんな記事が目に入った。
草なぎ“僕シリーズ”映画化で主演

 SMAP草なぎ剛(「なぎ」は弓へんに前の旧字体その下に刀)(35)が映画「僕と妻の1778の物語」(星護監督)に主演することが8日、分かった。草なぎが主演したフジテレビ系連続ドラマ「僕の生きる道」「僕と彼女と彼女の生きる道」「僕の歩く道」の“僕シリーズ3部作”の新作として、初めて映画化される。

 今回はSF作家ががんで余命1年を宣告された妻のために、毎日短編を書き続ける夫婦愛を描く。「ねらわれた学園」などで知られるSF作家眉村卓氏の著書「妻に捧げた1778話」が原作。悦子夫人が02年に大腸がんで亡くなるまでの5年間をつづった作品で、星監督は「悲しい話だけではなく、5年間によって夫婦の愛情が確認された世界一幸せな夫婦の物語」と話す。

 1778話の中から数話をピックアップ。CGを駆使して日常で起こる不思議な話を劇中に盛り込む。「僕の生きる道」「僕の歩く道」の演出を担当した星監督は「『僕の生きる道』などは静ひつなドラマ。演出はなるべく控えめにした。今回現実は控えめに、空想はなるべく派手にしようと考えている」とこだわりを明かした。

 がんで余命1年を宣告される妻を演じるのは竹内結子。草なぎとは興収31億円のヒットとなった映画「黄泉がえり」(03)以来の共演となる。10月末にクランクイン。草なぎは「みんなに愛されるすてきな映画にしたいと思います」。竹内は「草なぎさん演じる主人公の思いに激しく心を打たれました。私自身も(主人公)朔太郎さんの思いに応えられるよう、懸命に取り組みたいと思います」と意気込む。

 来年、カンヌなど海外映画祭への出品を目指すほか、海外配給も視野に入れている。来年末か2011年新春公開予定。



僕はこの記事にある”草なぎが主演したフジテレビ系連続ドラマ「僕の生きる道」「僕と彼女と彼女の生きる道」「僕の歩く道」”のことも、星護という監督のこともまったく知らない。

だから思った。

フジテレビ(亀山プロデューサーだけか?)が今も「量が質を生む」という方針で映画製作にかかわっていると推察しているが、こんな経緯で製作された映画が質のいいものに仕上がり、世界で評価されるようになったらいいなと。

知らないものは論評のしようもない。

ただ、映画「僕と妻の1778の物語」が「量が質を生む」ような仕事になればいいなと思う。

そして、「どうかな?」とも考えざるを得ない。

惨憺たる製作現場に思いをはせると、今の「量が質を生まない」システムの上で、「量が質を生む」などはっきり言ってたわごとでしかないと思うのだった。








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2009年11月09日

3Dバブルをあだ花に映画業界は厳冬期に突入

冬を迎えるにあたって、更に映画業界が厳しいようだ。

今年は3D映画元年などと喧伝されているが目下のところ興行的には苦戦が続き、特に洋画配給業界は文字通り厳冬期に突入したようだ。

こんな記事が公開されている。

トルネードフィルムの叶井俊太郎氏のブログから引用。
もろもろ厳しい!

朝イチに練馬のゴンゾに行き「アフロサムライ:レザレクション」の木崎監督、原作者の岡崎さんのマスコミ取材の立ち会い。結構、でかい媒体とか取材が入ったのでこれはこれでよかったかな。そんなワケで夕方に社内会議。今後の展開など。というか、来年はもっと厳しくなりそうだよなあ。なんとか乗り切りなければ!

AFM!

今週からAFMが始まってます。うちからは買い付けではなく、邦画の販売で参加してます。というワケでオレも今回は不参加です。もうね、買い付けできないですね。洋画マジで厳しいです。なので、しばらく海外映画祭の出張は参加できません。そんなワケで夜、SPOに行き「エアホステス」でお世話になった鈴木さんとメシ行く。


今年はすでにワイズポリシーやムービーアイの倒産があり、興行通信記者上がりで飯の食いっぱぐれのない立場を確保しているK氏などは「今年は映画が壊れる!」なんて言っているが、映画にかかわる人たちの多くは、映画のビジネスモデルが壊れていることを認めたくないらしい。

映画の興行がだめでもビデオやDVDの売り上げで持っていた映画配給というビジネスモデルがとっくに破綻しているのだから、DVDが売れないから洋画の買い付けが出来ないというのは当たり前の話であるのだが。

叶井氏と親しい福井政文氏のブログも引用。
来年も

映画業界は厳冬の突っ込みましたね。トルネードフィルム叶井社長と話しても暗い話ばかり。DVDは売れなくなったと言いますが、売れている流通もあったりで、ようはコンテンツのTPOがずれてきている感じがする。コミックも紙が売れなくなっただけで携帯はまだ伸びる可能性がある。今日はビクターエンタメが売却か?というニュースに驚いた。メディアの変換期と事業の再編の時期なのかもしれないが、決して音楽を聞かなくなった訳ではないので、ここを過ぎてビジネスモデルが固まると又コンテンツ産業に春がくると思う。


そうだろうか?

”ここを過ぎてビジネスモデルが固まると又コンテンツ産業に春がくると思う。”

僕には、とてもそうは思えない。

大きく考えると、百貨店のように大規模なウィンドウ展開をするコンテンツ産業のビジネスモデルが壊れ始めているのだと思う。

また、どちらが後先かはわからないが、映画産業にも自動車産業と同じことが起きていると考えたほうがよい。

だって、コンテンツ産業を支える制作現場は、実質的に破綻しているのだから。




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映画化の原作権を収得するための企画書

面倒くさいといったらいけないが、最近は映画化するための原作権を得るために企画書を書かなくてはならない。

以前は原作権者と直接会って口頭で映画化の構想を開陳し、納得してもらえば契約書を作成するという工程だったが、ある時期から出版社が間に入るようになって、そのための企画書を作成しなければならなくなった。

悪く言えば誤魔化しがきかなくなったということだが、原作権をもらってもいないのに企画書を書くというのは想像以上に疲れる。

なぜならば、フリーの映画プロデューサーは映画会社やテレビ局の社員と違ってたいていは制作・配給のスキムはなく、単に「面白いから映画にしたい」ということから映画化を進めるからである。

ということは、映画化権を持っていなければ何にも進められないということでもあり、資金・制作体制・配給などが未定のまま企画書を作ることになる。

それが疲れるのだが、今日はそんな企画書を一つ書き上げた。



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2009年11月08日

プリントアウトしながら企画書を書く

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プリンターのインクが切れているので、プリントアウトしながら企画書を書くことができず、なかなか思うように仕上がらない。

企画書は他人に見せてナンボのものだ。

でき上がりのイメージが重要で、あらかじめパッケージをつくてから中身を埋めていったり、削除したり、デザインを変更したりしながら作業を進めるが、ポイントごとにプリントアウトして全体像を確認しておかないと、方向を見誤り無駄な時間を費やすことになる。

で、近所にヒューレットパッカード製品のインクを売っている店がないので、わざわざ新宿まで買いに出なければならなかった。

狛江と新宿の間を単純往復する間、こんな時には頭がリフレッシュされていいアイディアを思いついたりするものだがなんて期待していたが、本日はこの記事をアップするだけで終わってしまった。

まあ、良しとしよう。
posted by 映画プロデューサー at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

プロ野球日本シリーズは読売ジャイアンツが優勝

昨日(一昨日?)はメジャーリーグでヤンキースがワールドシリーズを制して優勝し、松井秀喜選手がMVPを獲得して年甲斐もなく少々興奮してしまった。

今夜は(さっき)プロ野球日本シリーズ「読売ジャイアンツ対日本ハムファイターズ」の試合があり、読売ジャイアンツが勝って7年ぶりに日本一になったが、申し訳ないがなんの感動もなかった。

どうしたことだろう?

普通、それなりの感動があるものだが。

ダルビッシュが出なかったからかもしれない。

特別ファンでもないのに、メジャーリーグの松井の今後の動向のほうが気になる。



posted by 映画プロデューサー at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 野次馬的無責任発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逃れがたい生老病死

人には生老病死があり、いずれ人はみな死ぬ。

長く生きたとしても80歳とか100歳くらいまでであり、60歳というともう後はあまりない。

こんな年になると、精神と肉体のそれぞれを観察・分析できるようになる。

精神が衰えることも肉体が衰えることも由々しきことであるが、”衰え”は払っても払っても、まるで増殖するゾンビのようにやってくる。

朝起きたら、精神も肉体も若返っていたというようなことはありえない。

笑ってしまうほどの真実だ。

恐怖は、精神と肉体の衰えが同時にやってくるというか、両者が徐々にリンクしてくるときのような気がするが、まあ、そのときになればなったで慣れるのかもしれないとも思う。

衰えの尺度(順番?)として「眼、歯、マラ」という言い方があるが、他にも内臓や腰、足、耳などもあると思うが、それらのすべての器官が衰えの尺度であることに間違いはない。

僕の恐怖は”呼吸器官”の病気と衰えである。

呼吸するのに障害があるというのは想像しただけで苦しく、もし僕が自殺するとしたら、呼吸器官の障害がどうしようもなくなったときだと確信している。

鼻が詰まったり、のどのタンがとれなかったり、肺に違和感があってぜいぜいいうようなことが続くのは考えるただけで耐え難い。

だからインフルエンザも嫌いだ。

とても注意する。

若いときみたいに、酒を飲むだけ飲んで治癒させるなんてこともありえないし。

ただ、注意するといったって、なんの具体性もない。

精神論だけだ。

いや、ぞんざいに自分を扱わないようにはしている。

うかつとか、不注意とか、ほかの事に神経をとられてとか、忘れていたとかなど、出来るだけ不必要なエクスキューズがないように気をつけている。

自慢っぽいが、律しているといってもいいかもしれない。

怖いのは、精神と肉体を同時に病魔が襲ったときだ。

まあ、そのときはそのときで案外簡単にあきらめるかもしれないが、せいぜい同時に複数の病気や怪我をしないようには努めている。











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2009年11月06日

キノコ狩りで若い女性の頭部なんて見つけたくない

こんな記事を見るとどきりとする。


不明の女子大生?広島の山中で女性の切断頭部発見

6日午後1時45分頃、広島県北広島町東八幡原の臥龍(がりゅう)山中のがけ下で、キノコ狩りをしていた男性が若い女性の頭部を見つけ、県警に通報した。


僕が田舎にいる頃、キノコ狩り、山菜採り、山芋掘り、魚釣りなどを楽しんだが、淡水魚の水槽を飾る石を拾いに行ったとき、もう少しで死体と鉢合わせしそうになったことがある。

その日、車で移動しながらさまざまな渓流に入り込んでいた。

同じ山系だからどこの渓流でも同じような石があると思っていたのだが、それぞれの渓流で異なる趣の石があって面白く、日が暮れるまで石を拾う楽しみに耽溺していた。

気がつくとまだ日があるのに、森に囲まれた渓流は薄暗くなっていた。

帰り道のある、リンゴ畑の上流にある渓流の下で車を止めて、その渓流に入り込もうかどうかを考えた。

水槽に入れる石は2・3個でいいのに、もう30個以上(50キロはあった)ぐらいは車に積み込んでいた。

渓流の水量は多くなく、さらさらと音を発して流れていた。

このとき、ポケットの中のケータイ電話が鳴った。

電話に出るとカミさんの声がした。

「あなた、Yさんがいらっしゃてるわよ!」

そうだった。

今日はYさんが仕事帰りに家によって、調子の悪いパソコンを見てくれるようになっていたのだ。

「それにしては早い。まだ、空は明るいのに」

カミさんにYさんと電話を代わってもらったら、「早く仕事が終わったんですよ」とのこと。

すぐさま車をすっ飛ばして家に帰ったが、次の日その渓流で死体が見つかったと地元テレビなどのニュースが報じた。

殺人事件だった。

キノコ採りでもそうだが、至近距離でターゲットに向かう。

もし僕がこぶし大の石を求めてその渓流を歩いていたら、足か、手首か、頭かはわからないが、まず死体の一部を目にし、そして全体を瞬時に見て、きっと腰を抜かしたろうと想像できた。

そんな経験があったから、今でもこんなニュースを目にすると心臓がどきりとしてしまう。




posted by 映画プロデューサー at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 年がいのない日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする